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南米紀行 2010-05/04 第14日目【リマ】

■【世界遺産:リマ歴史地区(Historic Centre of Lima)】
[ 登録年:1988年 ]
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太平洋に面したペルーの首都リマは、政治、文化、金融、商業、工業の中心地。
人口約800万人でペルー最大の都市であり、南米大陸へのゲートウェイ。

リマは、1535年にインカ帝国を征服したスペイン人フランシスコ・ピサロによって築かれる。
リマの名前の由来は市内を流れるリマック川(rio Rimac が訛ったもの)に由来すると言われ、
かつて「La Ciudad de Los Reyes(諸王の都)」と呼ばれた。
首都建設を始めたのが1535年1月18日。現在、この日はリマの建都記念日となっている。

街は、植民地時代に建てられた建物が多く残る旧市街セントロ地区と、海岸沿いの新市街に分かれる。

旧市街は、アルマス広場を中心に碁盤目状に道路が配された街並み。
植民地時代の繁栄の面影を残す、大統領府や大聖堂が面するアルマス広場周辺の旧市街は
【世界遺産:リマ歴史地区】に制定。
(1988年にサン・フランシスコ教会・修道院が、1991年にリマ歴史地区全体がユネスコの世界文化遺産に登録)


アルマス広場周辺には、サン・フランシスコ修道院やサント・ドミンゴ教会などの宗教建造物や
スペイン人貴族の邸宅トーレ・タグレ邸など、数多くの歴史的建造物が残る。


■最終目的地、リマ入り
ナスカから深夜バスで、ペルーの首都リマに、早朝6時に到着。よく寝れたぁ。 
タクシーで、アレキパで予約したホテルにチェックイン。
リマは、首都だけに、あきらかに道路が整備されていた!

ホテルに送ってくれた、タクシードライバー
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南米大陸において、チェは特別の存在なんだろう。タクシーにステッカー(日本車だ)
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■のんびり朝食
ミラ・フローレス地区に到着。
ホテルは正直言って、この紀行中、最低ランク・・・
バックパッカー宿だ。
ただ、立地はいいし、今さら重い荷物を持って移動する気にもなれず、ステイすることに。

唯一、よかったのは朝食。
朝食券を渡され、近くのなかなかシャレオツカフェで食べることができた。
ひさしぶりのゆったりした時間の中、コーヒーブレイクを楽しむ。
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カフェ前を通過したVOLVO
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■リマ・クリーニング事情
カッコつけて、ホワイトジーンズ履いていたら、文字通り”真っ黒”に! 
過酷だぜっ、南米!
(汚れが目立つようなハイライト調整してるため、パッと見は、ここまで汚くないですよ^^;)
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洗濯物もたまってきたので、ホテルで教えてもらい、リマのクリーニング店へ。
ダウン+ホワイトジーンズ+ポロシャツ+ベルト+帽子(2個)+トートバッグ 
TOTALで、たったの12SOL(≒400円!)(^。^)


■リマの車窓から
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■世界遺産「リマ旧市街」へ!
以下、ご案内します!


■カテドラルと大司教宮殿
1535年、ピサロが自らの手で礎石を築いたペルーで最も古い大聖堂。
一際美しい白亜のカテドラル。
ピサロの遺体が安置されている。
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大司教宮殿
木造のバルコニーが美しい。ポーランド人建築家によって1924年に建てられた。
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カテドラル前で一枚
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重厚な装飾
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■デサンバラード駅
駅名は「捨てられた」という意味で、実際にほとんど使われていないそうだ。
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ステキなストリート表記
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■サン・フランシスコ教会・修道院(Iglesia y Convento de San Francisco)
バロックとアンダルシア風の建築様式をとり入れ、1546年から100年以上かけて建設。
美しさにうっとり。特にファサードは見応え。
リマ歴史地区より一足早い、1988年にサン・フランシスコ教会・修道院は【世界遺産】に登録。
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■アルマス(マヨール)広場(Plaza de Armas(Plaza Mayor))
征服者フランシスコ・ピサロは、スペインのイベリア様式にのっとり、アルマス広場を中心にリマの街を建設。
現在もアルマス広場は旧市街の中心地。
大統領府、カテドラル、リマ市庁舎などが広場を囲む。
北側に大統領府があるため、周辺の警備は厳重。
首都にふさわしく立派で、観光客が多い。また、市民憩いの場でもある。
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他人が同じベンチに座ると~
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■大統領府
ピサロ邸宅跡に建つ。ペルーの統治に君臨してきた堂々たる建物。
何度も増改築を繰り返し、公式に大統領府と公に定められたのは比較的最近で、1939年。
毎日午前11:45から衛兵交代式が行われそうだが、我々はタイミングを逸した・・・
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■リマ市庁舎
大統領府の左側、クリーム色のネオコロニアル建築の建物。
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■サント・ドミンゴ教会
いったん、アルマス広場を離れ、歩くこと1ブロック。
1549年の建立。
ペルー最古の礼拝堂。
幾度もの地震にも耐え、当時の姿をとどめている。
こちらも
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■ランチ
ここでランチ!
いい感じのカフェレストランに。
ひさしぶりに朝食を食べたせいか、あまりお腹がすいてなかったので、
カプレーゼとスープ、そして、すっかり我々の定番「CUSQUENAブラック」。
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■ラ・ウニオン通り(Jiron de la Union)
セントロ地区のメインストリートで、カフェやブティックなどが通りの両脇にぎっしりと並ぶ。
以前は、露店でごったがえしていたが、露天商が治安悪化の温床として、市当局による厳しい取り締まりが行われたため、すっかり姿を消してそうだ。
とはいえ、ガイドブックによると「治安は悪い」ということなので、リュック前背負い体制で散策。
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PARADA・・・
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■サン・マルティン広場(Plaza San Martin)
ラ・ウニオン通りを抜けると着く。
アルマス広場と双璧になる、首都にふさわしい大きな広場だ。
ペルー独立運動の英雄サン・マルティンの銅像(騎馬像)が立つ。
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ときは、すでに日が暮れてきた。
なんだか、怪しい雰囲気になってきたので、足早にタクシーに乗り、再度、アルマス広場に戻った。


■アルマス広場で夕景・夜景ハンター
アルマス広場に戻る。
ぜんぜん歩ける距離だが、なんだか危険な雰囲気だったので、タクシーで移動。
そこで、重い思いして持ち続けた三脚を出してセッティング。
夕焼けから、夜景への変化をどうぞ。
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そんなとき、カワイイ子供連れのママに「写真を撮って!」と依頼される。
観光地にいるプロカメラマンと間違えられたらしい(^^;; 
喜んで応じる。
メアドがないそうで、現像して日本から郵送することに。
スペイン語は通じずとも、写真を通してグッドコミュニケーション!
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タイマーセットで自分も一枚
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時計を見たら、1時間も撮影していた^^;


■リマ旧市街を歩いて
征服者ピサロによって建設されたリマ。
リマ旧市街は、コロニアル様式の建物が点在し、スペインそのもの。
かつて“諸王の都”と呼ばれ、スペイン南米支配の拠点であった。
繰り返し述べたきたように、征服された側、征服した側、捉え方はぜんぜん異なる。
複雑な思いで、世界遺産の街を歩いた。


■自分史上最高の空間レストラン「Huaca Pucllana」
タクシーに乗り、向かうは、
ワカ・プクヤーナ遺跡内にあるレストラン「Huaca Pucllana」。
(ちなみに、ドライバーに住所提示をしたが、なかなか入口がわからず、遺跡付近をぐるぐるまわってしまった)

高い天井、広い空間、オープンテラス、白壁、客層、
そして、極めつけは、この空間が店名の通り、ワカ・プクヤーナ遺跡内にあり、夜は目前にライトアップされた幻想的な造形美を望めること!
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リコメンドに従い、洗練されたペルー料理を堪能。「CUSQUENAブラック」で乾杯。
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席をうつして、ワインを味わう。
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酔うSJ
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“歴史遺産”X”洗練されたペルー料理”という新しい手法で、
“歴史を現代に魅力的に伝達し、対話できる空間を提供”している! 
歴史マニアとしては、将来やりたいことを体感でき、大感激(^o^)



大満足で、お店にタクシーを呼んでもらい、ホテル付近の公園に。
すごい近い距離だったが、わずかこの距離で20SOL(≒660円!)
まぁ、仕方ない。


■旅のラストナイト
近く迫るFIFA W-CUPの屋外AD
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ホテル近くに深夜も営業する大型スーパーを発見。
買い物をしてから、ホテルへ。
疾風怒濤の旅もいよいよ明日が最終日。
明日は、リマ新市街を楽しむ!

南米紀行 2010-05/03 第13日目【ナスカ】

■【世界遺産:ナスカとフマナ平原の地上絵(Lines and Geoglyphs of Nasca and Pampas de Jumana)】概要
[ 登録年:1994年 ]
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ナスカおよびフマナ平原の地上絵は、首都リマの南400km、太平洋岸から50kmの砂漠地帯の約520kmに広がる
ナスカ文化の遺跡。

ナスカ文化は、西暦100~800年にかけてペルー南部海岸地帯を中心に栄えた。

ナスカ文化の象徴である、ナスカの地上絵は、1939年6月22日、アメリカの考古学者ポール・コソック博士により発見。
アメリカの数学者・考古学者、マリア・ライヒェ女史が中心となり、解明作業と保護が行われた。

果てしなく続くペルー南部の乾燥地帯に描かれた謎の地上絵。
西暦100~800年にかけて栄えたナスカ文化の時代に描かれたこれらの絵は、
直線や幾何学図形、動物、魚、虫、植物など様々。
上空からでなければ分からないほどの巨大な絵を残した理由は、未だに解明されていない。 
ナスカ文化は地上絵に見られるように、高度な技術と豊かな絵心を持った人たちがたくさんいたと考えられる。
その証拠に、ナスカの織物はプレ・インカ文化のなかでもとりわけ美しく、
土器に描かれた抽象画ひとつとっても、ナスカ時代ならではのものが多い。

*写真は最も美しい地上絵といわれる「ハチドリ」


■チケット手配
夜行長距離バスCURZ DEL SURの居心地は確かによかった!
とはいえ、疲れはあったが、強烈な太陽がカラダを起こしてくれた。
荷物をピックアップし、最初の仕事は、今晩、リマ行きの深夜バス手配。
CURZ DEL SURのリマ行きもあったためそうしようとしたが、最終便が夕方と早いため、
他に数社まわったところ、「一等席」はすべて埋まっていた。
Flores社の「二等席」ならまだ空きがある。
夜行バスの二等席にはちょっと気がひけたが、かといって翌日の移動にすると、
日中を移動に使ってしまいもったいないので、ともかく“保険”で確保(30SOL≒1,000円)
1等席のキャンセルが出たりしたら、乗り換えればいい。


■ナスカ&パルパの地上絵フライトツアー手配
次は、本日のメインイベント「ナスカ&パルパの地上絵フライトツアー」。
バスステーションで我々を“カモ”と思ったであろう兄さんが熱心に誘うので、
話だけ聞こうと彼の経営するというホテルに向かったが、そこはバックパッカー宿のため、お断りした。
値段は安いかもしれない。
しかし、一番重視したいのは安全性。
日本出発前に地上絵ツアーでの事故を耳にしていた。
ここはコストをケチらず、安全確保を第一に選択したい。

どこのエージェンシーに行っていいかわからず困惑したが、こういうときは大手に限る。
「地球の歩き方」に従い、アルマス広場にある「Nasca Trails」にタクシーで向かう。
しかし、説明がしどろもどろ。不安になり店を出た。

次に「Alegria Tours」へ。「Alegria Hotel」に併設されている。
ここはチャキチャキオネーサンが説明がしっかりしていた。
安全面を質問しても、「機材が新しいし、地上絵ツアー開始後、一度も事故がない」と説明してくれた。
一番大事にしたい安全面で信頼がおけたので、
我々の心は決まり、「ナスカ+パルパ地上絵ツアー」早速申し込みをした。
1時間飛行を、我々とパイロットと副パイロット含む4名で130US$。

やはり営業は「人」なんだと思う。
決定的な商品力の差がない場合、鍵は営業の力の差だ。
それは世界共通なんだなぁ、と実感。


空港へのピックアップカ―乗り場まで連れてきてくれた、仕事ができるオネーサン
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■ナスカ(か)なう♪( ´▽`)
ナスカ+パルパ地上絵ツアー
ナスカ空港へ。
びっくりしたのは、一面が砂漠の不毛地帯。

これが4人乗りツアーセスナ機
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テイクオフ!
地上絵の度に、右に座る人も、左に座る人双方がちゃんと見えるように、右に左に旋回してくれて大満足!
パイロットは例えば「サル」「クモ」とか、英語と日本語で叫びながら上空を旋回する。
有名な地上絵の大きさはだいたい50~200mほど。
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クジラ
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宇宙飛行士(というにはムリがあるか・・・)
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コンドル
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クモ
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オウム
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(左から)木、ミラドール、手 上の道路はパンアメリカン・ハイウェイ
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パルパのハチドリ
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各ガイドブックでタイトル表示されない地上絵も多数存在
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ナスカの乾燥した大地 不毛地帯
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ナスカは砂漠の不毛地帯。ここは月面では!?と思うほど。
ナスカ&パルパの地上絵。
それは、年間降水量1mにも満たない砂漠地帯に、忽然と現れる歴史のミステリー!


BUT,アクロバティック飛行の代償として、ひどい飛行機酔いに(>_<)
ボクは乗り物が好きなこともあり、乗り物酔いには強い体質。
そりゃそうだろう。
右に、左に、アクロバティックに飛行するわけだから・・・
SJも同じく飛行機酔い。
正直、パルパの地上絵の頃は、酔いを我慢するので精一杯だった、、、


■ランチ&休息
ナスカ空港からへ。
降りるとフラフラ。
すると、優しそうなホテルレストランのギャルソンオジサンが声をかけてきた。
スペイン語なのだが「飛行機酔いなのね。飛行機酔いに効く料理もあるから、ぜひ食べていきたなよ!」
移動する気力もなかったし、朝から何も食べてなかったし、何よりテラスが気持ちよさそうだったので席に座った。

飛行機酔いに効くというオススメのスープと、サラダと、定番「CUSQUENAブラック」。
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カラダが肉を欲していなかったので魚をチョイス
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スープはカラダに優しい味。
だけど、お気に入りの、CUSQUENAの黒ビールを飲みすぎて、飛行機酔いも相成り、酔っ払ってしまった、、、 
しばしの休憩。

その後、「Alegria Tours」でミラドール行きのチャーターをお願いした。

■マリア・ライフェ博物館(Museo Maria Reiche)
ミラドール行きのチャーターは最初の目的地。
地上絵の解明、保存に大きく貢献したドイツ人数学者・考古学者マリア・ライフェ女史の研究所跡を利用した博物館。
パンアメリカン・ハイウェイ沿い、ミラドールから1kmほど
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エントランスにいた女の子と猫
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■ミラドール(Mirador)
地上絵観測塔。
マリア・ライヘ女史が地上絵の観察のために建てた20mほどのやぐら。
上に登って観測塔周辺にある「手」や「木」の地上絵を間近に観察することができる。
砂漠地帯に忽然と立っている塔で、風を受け、なかなか恐い。
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■自然の丘(ミラドールナトゥラル)
ミラドールから約1kmのところにあるのがこちら。
丘はナスカの地上絵の線が交差するところにあり、丘の上から多数の線を間近に見ることができる。
これが地上絵のライン
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黒く日焼けした石
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そうこうしているうちに夕陽に
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■パンアメリカン・ハイウェイ
砂漠のど真ん中に作られたハイウェイ
一直線!
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■地上絵の謎
ナスカ&パルパの地上絵。年間降水量1mにも満たない砂漠地帯に、忽然と現れる歴史のミステリー!

地上絵は何を意味するのか?まだ解明されていない。
・「水源と水脈」説
・「天文学的な暦」説
・「雨乞い」説
・「雨中への滑走路」説
・「絵画」説
・「公共事業」説
と諸説ある。
※前述のポール・コソック博士とマリア・ライヒェ女史は「天文学的な暦」説を唱えた。

乾燥した平原地帯に描かれた約70の動植物の絵、700以上に及ぶ幾何学模様。
地上絵は、約10~300mまで大小さまざま。平原に巨大な図が精巧に描かれているために、
高度な測量技術と数学的知識をもっていたと推測されるが、制作方法や目的はいまだに謎。

これだけ科学が発達した21世紀でも解明できないミステリー。
地上絵を目の前に、その“神秘性”にひととき、見とれたのだった。



■インカ・コーラ
ペルー人はコーラ好きで有名。
ペルー国内シェアNO.1シェアは「インカコーラ」!
ペルーは、コカ・コーラがシェア一位を獲れな稀な国。
そのためコカ・コーラ社は、インカ・コーラを会社ごと買収したという。
黄色く、甘く炭酸弱めで、かつてあったメローイエローなテイスト!
そのインカ・コーラに“light”があった
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■よく見たペインティング
聞いたところCASTROさんとは市長とのこと
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■街の散策
チャーターツアーから戻るとすでに夕刻。
「Alegria Hotel」からアルマス広場まで散歩してみた。
ナスカは小さい街だ。

夕食は、街で一番有名と言われる「El Porton」へ
定番「CUSQUENAブラック」で乾杯
いつものように、各自スープ一品
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メインをシェア
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まだ時間があったので、居心地のよかった「Alegria Hotel」へ。
ギャルソンおじさんがまた出迎えてくれた。
リマ行き夜行バスの定刻まで、お茶しながら過ごした。
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さぁ、ナスカ発リマ行きの深夜バスに出発。
結局、1等車は見つからず、2等車(>_<) 
でも、そんなに悪くない。
ナスカ11時発⇒リマ着朝6時だから、今晩予約しておいたリマのホテル代損した。
でも、そんなトラブルもまた、旅の楽しみなり!


南米紀行 2010-05/02 第12日目【アレキパ】

■【世界遺産:アレキパ市の歴史地区(Historical Centre of the City of Arequipa)】
[ 登録年:2000年 ]
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アレキパは、リマから1030km、標高約2335、人口90万人を擁するリマに次ぐペルー第2の都市。
鉱物、セメント、ビール、製糸などの産業に加えて豊富なフルーツも産出する豊かな土地。

アレキパという名前は、建設したインカの第4代皇帝マイタ・カパックが言った
「Ari Quepay(ここへ住みなさい)」というケチュア語が由来という。 

アレキパは「Ciudad Blanca=白い町」とも言われる。
建物が、近郊で採れる白い火山岩で造らているため。
降り注ぐ強い太陽と白い建物が相成り、街全体が明るい雰囲気。
地元では「地球からちぎれて月が生まれたとき、アレキパを置き忘れた」と語られる。

歴史地区となる旧市街には、コロニアル様式の美しい歴史建造物が数多く残る。


■のんびりDAY
ひさしぶりにのんびりした日。
アレキパは見ところがコンパクトにまとまっていることもあり、
ゆっくり起床し、ゆっくり朝食して、ゆっくり準備して、外出したのは11:30

朝食は屋上にあるテラス
眺めがいい! テラスから見えたミスティ山
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この旅、出番がなかったデル・ピエーロシャツを着てたら、ボーイさんが、デル・ピエーロ似なので撮ってもらった
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■アルマス広場(Plaza de Armas)
まずは、街の中心、アルマス広場を目指してみた。
1540年にアレキパを征服したスペイン軍により街の中心としてつくられる。
コロニアル様式の回廊建築に囲まれ、何本もの椰子の木と花々が咲き乱れる美しい広場。
建物はすべて「火山岩」で出来ている。
2階のバルコニーはほとんど全てが レストランになっている。
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■ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会(Iglesia de la Compania de Jesus)
アルマス広場に隣接。
かつてインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられた。
現在ある教会は1650年の地震のあとに再建されたもの。 
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■カテドラル
アルマス広場に隣接。白く美しい。
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カテドラルを抜けた門が絵になる
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門を抜けるとオシャレ通り
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■散策中
日差しが強いので、原色の建物が映える
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ミスティ山
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地元雑貨店
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バス亭
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■サン・ラサロ地区(Barrio de San Lazaro)
アレキパで最も古く美しい場所として知られる地区。
1540年のアレキパ市設立の際には、礎石が置かれた場所。
車1台通るのがやっとというくらい狭い道の両側には、火山岩で造られた建物が並ぶ。
陽の光を浴びて輝く“白い街”は、美しい。
治安対策として、厳重な門が目立った。
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それにしても、右に一眼レフ、左にDVと、
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■サンタ・カタリナ修道院基本情報(Monasterio de Santa Catalina)
アレキパ最大の見所をされる。

1579年に建てられ、1970年までの約400年間、
外界との接触を断ち、実際に修道生活が営まれていた。
つい、40年前まで!想像するだけですごいこと!

外部は白い壁でと囲まれ、内部は迷路のような回廊が巡らされている。
各所に小さなパティオがあり、パティオごとに回廊の壁色が変化していく様子が美しい。
回廊の壁には花や鳥の絵が描かれている。
当時の家具やカマド、修道女の部屋なども展示。

光を大胆に取り入れた、明るい色の壁面は、ルイス・バラガンの建築に通じるかもしれない。
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■モラル邸
1733年に建造されたバロックとシジャール様式の建物で、
アレキパに残るコロニアル建築の最高傑作と言われている。

重厚な彫刻のファザード
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■アレキパのクラッシックビートル
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■遅めのランチ
フロントのオネーサンにリコメンドされたレストランへ。
リコメンドメニューを食べてみた。
洗練された味わい!
地元ビール「アレキパ」といつもの「CUSQUENAブラック」で乾杯!「CUSQUENAブラック」の方が美味い!
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後輩に薦められ、この旅、本気で黒烏龍茶を持ってきました!
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■「CUSQUENA NEGRA(クスケーニャブラック)」
ペルーで絶品BEERと出会ってしまった(^O^) 
「CUSQUENA」の黒ビール! 
フルーティな甘みのある味わいなり(カシスがはいっているのか?)
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「CUSQUENA」の黒ビールを、ベルギー・ヒューガルデンを好きな人は、きっと好きになると思う(^O^)
黒ビールといえば、ギネスがワールドベストと思っていたが、「CUSQUENA NEGRA」は双璧となるテイスト。

ちなみに、「CUSQUENA」の白ビールは、黒ほどではないが、他のペルー産ビールに比べると、洗練されていておいしい!


■アレキパの夕景
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■アレキパの夜景
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こうやって撮ってます!
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■ナスカへGO
「CURZ DEL SURのバスは最高にいいよ!」とクスコの旅行代理店で聞いていた「CURZ DEL SUR」
確かに!いきなり待合室がステキ。荷物チェックも飛行機並みに厳重だった。
ドリンク・フードサービスもあり、確かにデラックス寝台バス。
起きたらナスカ!
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南米紀行 2010-05/01 第11日目【プーノ】

■プーノ入り
何度も目が覚めた、我々を乗せたバスはひたすらペルーを南下した。
PUNO到着。真っ暗。時計はまだ5時前だ。
ここで旅行代理店の方がピックアップしてくれる予定。
すぐ見つかり、タクシーに乗り、彼のオフィスへ。
(タクシー代は払わされた)
なんでも、ツアー出発までの時間、ここで待機するようだ。
欧米人が何人も寝ていた。
ブランケットを借りて、しばし睡眠。

2時間ほど寝ただろうか、7時にはオフィスを出発し、港へ。
そして、乗船。
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これが後述される「トトラ」
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完全に“足”ですね
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我々のチチカカ湖クルーズが目指すのは、「ウロス島」と「タキーレ島」だ。

チチカカ湖は“太陽の湖”ともいわれるのに、曇天なのが残念。
せめて、雨でないだけでもよかったと思おう。


■チチカカ湖(Lago Titicaca)
ペルーとボリビアの国境にまたがるチチカカ湖。
アンデス山脈のほぼ中央、汽船の航行する世界最高地点でもある海抜3890m に位置し、
面積は琵琶湖の約12倍(8300平方km)、最大水深は約281m 、
10万年以上の歴史を誇り、世界に20湖しかない古代湖のひとつ。
初代インカ皇帝マンコ・カパックが降臨したとされ「天神降臨」の地として有名。
聖なる場所として崇められている。
チチカカの名の由来は、ケチュア語で、「チチはピューマ」、「カカは石」を意味する。上空から見ると、ウサギを襲うピューマの形をしていることから。
山脈を背景にたたずむ深い青色の神秘的な湖は、見る人の心を引きつける。


■ウロス島(Isla de Los Uros)
スペイン人侵攻により湖畔から追い出されたウル族の新居住地に選んだのが、インカ創建の地チチカカ湖。
島といっても、トトラと呼ばれる葦を積み重ねた浮き島、それがウロス島。
45島ほどあり、現在でも約2000人が生活している。
ここに住む人々はウル族と呼ばれ、ティティ カカ湖に生息する魚や水鳥を捕り、畑で野菜を作って生活する。

土地も、家も、船もトトラで作られる。
病院や学校もトトラでできており、すべてがトトラで生活している。

プーノの桟橋より船に揺られること、約40分。
到着を出迎えてくれた島の人々
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最初にレクチャーしてくれた
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トトラは食べられる!
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トトラを頬張るSJ
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船もトトラ製
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ウロス島の人々
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浮島は一部地盤がゆるい箇所も。足元見てください
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さらに、一部陥没箇所も
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■タキーレ島(Isla Taquile)
再度乗船。プーノからティティカカ湖を約45km。ウロス島からはおよそ2h30。
太陽も出てきた!“太陽の湖”には、青空がよく似合う。
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タキーレ島には、毛糸のポンチョや帽子、織物などの手工芸品と農業を中心に約1600人が生活をする。
湖畔の町がどんどん開発されていくなかで、
いまだに昔のままの生活を続ける純粋なケチュア民族の島だ。
島ではインカ時代からの農耕システムが採られてるなど、インカ時代の名残が見られる。

島内には電気も水道もなく、自給自足、物々交換の世界。

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船着き場から、坂道を歩く。
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やはり、4,000m級の高地のためか、かなり疲れる。。。まずは約40分かけて広場を目指す
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広場
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広場の売店
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小高い広場から、チチカカ湖を望む。
水平線まで続く湖の青さと透き通った空の青さが美しい。
まさに“太陽の湖”
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レストランオーナー
eDSC_0047.jpgランチ トゥルーチャ(マス)の塩焼きとBEER 美味!
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カメラマンSJ
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ランチ後、さらに島を散策
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島の反対側の船着き場へ到着
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タキーレ島の子供たち
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■【無形文化遺産:タキーレとその織物技術】
[登録年:2005年]
タキーレ島では、織物は生活の中に深く根ざし、
老若男女を問わず日常的に製作するうえに、誰しもが着用する。
タキーレ島の織物伝統は古代インカ、プカラ、コラ文明にまで遡り、
現在の織物にも、スペイン征服以前のアンデス文化の要素が色濃く残されている。
織物は、継承された据え置き型の足で踏むタイプの織機で織られる。

典型的な服飾品は耳覆い付き帽子と、
儀式や農耕作業と関連した一年の流れを描いた暦付きの広巾のベルト。
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■ああ、ウユニ塩湖
チチカカ湖はペルー領とボリビア領となっている。
ボリビアは目と鼻の先。
あと数日あればここからボリビア入りして「ウユニ塩湖」入りできたのに、、、
すでに決めていたことだが、あらためて残念。別途計画しよう!


■アレキパ入り
タキーレ島を14:30に出発。
約3hでPUNOの船着き場へ。
旅行代理店の方が待っていてくれた。
PUNO市内観光の時間はなくなり、一度、あずけた荷物をピックアップし、
そのまま、バスステーションに連れていってもらった。

大変よくしてくださったCOLONIAL TRAVELの夫妻(のはず)
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PUNO18:00発⇒AREQUIPA24:00着
タクシーをひろって、ホテルチェックイン。
もうお店も開いてない、ということで、デリバリーをお願いした。
ハンバーガーとチキンスープとクスケーニャブラック。
あまりにボリューミー!
ハンバーガーが小さいのではなく、チキンスープがバケツみたいなカップに。
美味しかったのだが、体重コントロールを考えると、食べずに寝るべきだったと、やや後悔(苦笑)
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今日は2日ぶりにベッドで寝れる。ゆっくり休むとしよう。

南米紀行 2010-04/30 第10日目【クスコ】

本日は、一日かけて【世界遺産:クスコ】観光!

いろいろ周りました

■【世界遺産:クスコ市街(City of Cuzco)】概要
[登録年:1983年]
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「クスコ」とは現地の言葉ケチュアで「 へそ 」の意味で世界の中心を表す。
標高3500mのアンデス山脈にある歴史都市。
太陽神を崇拝し、1200年から1533年の間、アンデスに帝国を築いたインカの首都として、
政治、経済、文化の中心地であった。
建造物は精巧な石組みで建てられ、今でもインカ文明の高い技術力を知ることができる。
16世紀、スペイン人がこの地を征服。
スペイン人はインカの強固な礎石の上に、華麗なコロニアル様式の建築を建設。
複雑な歴史の中で融合した、二つの文化。
クスコは、悠久の時を超えて語りかけてくれる。

インカ文明とは?

インカ文明は、現在のペルーのクスコを首都に、南米大陸の西側を貫くアンデス山脈、さらには山脈西側の海岸部や東斜面のセルバ(熱帯森林の入り口)をも含む広い地域に栄えた。15世紀末ごろには、北はエクアドル国境近くのコロンビアから南はチリ中部まで、南北4,000kmにわたる長大な国家に発展した。太陽の子を名のる皇帝は、神の化身としてあがめられた。中でも第9代皇帝パチャクティは、大帝国建設に着手しただけでなく、優れた手腕で国を統治し、賢く公平な王と称えられた。地方貴族とインカの皇女の間に生まれたワマン・ポマが残した年代記には、飢饉の際には食料や衣服が、国家の土地を耕すときには農具や食料が国から無料で支給され、病人や老人も安心して暮らせる福祉国家だったと記されている。

インカは、当時のヨーロッパをもしのぐ豊かさを実現していたといわれている。その繁栄を支えたのが、帝国全土に張り巡らされたカパック・ニャン(インカ道)と呼ばれる道路網だ。皇帝の視察や軍隊の遠征、物資や情報の輸送にも使われていたというインカ道は、皇帝の統治を地方にくまなく行き渡らせ、また広域的な交換をも促す重要な役割を担っていた。
インカでは太陽を最高神として信仰していた。また、創造神や雷神、大地母神などアンデス伝統の神々をも受け継ぎ、その神々にも供物や生けにえを捧げた。生けにえは主に動物だったが、ときに幼児や若者が犠牲となることもあったという。
インカでは、ミイラの存在も重要だった。皇帝は死後ミイラとなって生き続けることで、権力を永遠のものとした。

インカは、今も謎に包まれた文明である。それは文字を持たなかったためで、文明を知る手がかりといえば、インカの末えいやスペイン人が植民地時代初期に記した年代記によるところが大きいからだ。また、スペインによって多くの遺跡が破壊され失われてしまったことも大きい。それでもインカを象徴する都市・マチュピチュが発見されるなど、研究が進み、徐々にではあるが文明の謎が解き明かされつつある。

「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用  http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/01-incan/who.html



■インカミュージアム(Museo Inka)
17世紀はじめに建てられたコロニアルな邸宅で、
かつての海軍提督ドン・アルドレッテ・マルドナルドの邸宅であった。
クスコ市内に数ある大邸宅のなかで最も格式のある屋敷で、
出窓に3つ折の戸がついているスペイン・モーロ型の建築である。
館内は、「プレ・インカ」「インカ」「スペイン統治」と時代ごとに、
陶器や織物などが展示されている。
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1F広場では、アルパカ織が実演されていた
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2Fにあった売店で民芸品を購入。
このおじさんご自身が作られています
写真用にご自慢の品を首からかけてくださいました!
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■12角の石(La Piedra de Los Doce Anguios)
宗教美術博物館の外壁に埋め込まれた12の角を持つ「12角の石」。
アトゥンルミヨク通り沿い、壁のまん中あたりにあり、ほかの石と比べるとひと回り大きい。

「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われるように、
隙間なく組まれた石組みは、見事な一言!
石を削って接合させるだけでなく、角と落とし丸みをつけたり、大きさや角度を変えて耐久性を高めたりしている。
時空を超え、高度なインカ文明の技術の高さを、21世紀の今にも誇示している。

SJとならぶとこの大きさ
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■14角の石(Piedra de catorce anglos)
こちらは、幅30センチ程。
「12角の石」に比べ、あまり認知されていないが、
こちらの方がphotogenicかも。
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■ピューマの石(Piedra de Puma)
インカで神聖視されていた動物プーマの形をした石組み。
わかりますか?
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答えはこちら。指を指したのは頭部分。なるほどなるほど、わかりますね。
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■宗教美術博物館(Museo de Arte Religioso)
「12角の石」がはめ込まれたインカの石壁を土台として建てられた旧大司教庁。
入口のレリーフ、中庭などクスコ市内に残るコロニアル建築のなかでも一級品。
中庭中央にある噴水は、精巧なレリーフで飾られた優美なもの。
館内には300年以上前の家具などが当時のままの状態で展示されている。
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■サン・ブラス教会(Iglesia San Blas)
アトゥンルミヨク通りを上りきった所に建つ。
外観のみ観光。後で知ったのだが、
立派な祭壇が供えられており、精緻な彫り物は1本の木をくり抜いて造られた、
世界でも5本の指に入る芸術作品だそう。


■アルマス広場(Plaza de Armas)
カテドラル、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会、レストラン、旅行会社、おみやげ屋に囲まれた
観光の拠点になっている広場。
クスコ市民の憩いの場でもある。
一日中、人々で賑わう。

インカ帝国時代には、街の中心として、ワカイパタ、アウカイパタのふたつに区切られ、
神聖な土はインカが征服した町に印としてまかれ、
代わりに300km以上も離れた海岸の砂がここに敷きつめられたという。
さらに広場には、金銀でできた像がいくつも立っていた。 

スペインは外国都市を征服すると、
アルマス広場とカテドラルを建設し、そこから植民地化を進めた。
クスコはここに建設された。


■カテドラル(Catedral)
クスコの中心地・アルマス広場に鎮座する重厚なコロニアル建築の大聖堂。
インカ時代のビラコチャ神殿の跡に、
1550年から、100年もかけて建てられて荘厳な建造物。

ポトシの銀300トンを使ったメインの祭壇は一見の価値がある。 
また、屋根には1659年に付けられた南米で一番大きな鐘があり、その深い響きは、遠く40km先まで届くという。
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■ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会(Iglesia de la Compania de Jesus)
かつてインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられたファザードが美しい教会。
現在ある教会は、1650年の地震のあとに再建されたもの。 
カテドラルの絵を手がけた画家、マルコス・サパタによって描かれた見事な壁画やすばらしい祭壇は秀逸。
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■ロレト通り(Calle Loreto)
アルマス広場からラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会の横を入っていく、200メートル以上ある石畳の細い路地。
見事な石組みの壁は、最もインカ時代の雰囲気を残す通りのひとつとされている。
インカの時代には、インティ・キジュ(太陽へ向かう道)と呼ばれ、
その先には、太陽の神殿コリカンチャがそびえ立っていた。
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■サント・ドミンゴ教会/コリカンチャ=太陽の神殿(Iglesia de Santo Domingo/Qorikancha)
インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿として黄金に光輝いていた。
16世紀、スペインによる征服後、神殿から黄金を取り除いたスペイン人は上部を壊し、
土台の上にチュリゲレス様式の教会を建てた。
しかし、クスコ大地震の際、教会は無残に崩れ落ちたが、
土台の石組みはひずみひとつ起こさなかったという話は有名。
現在も発掘、復元が続けられている。
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「最も小さなインカの石」 幅3cm程度!
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EL Peru(ペルー万歳!) サントドミンゴ教会からみた山に書いてあるペルーのシグネチャー。
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庭に咲く植物
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■クスコの街中から
子供たち
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街ゆく人々とアルパカ(リャマじゃないですよね?)
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ブラピ似!?
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スカスSJ@HOTEL MIDORIの前の壁
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事件発生!調子悪かったSJのレンズがついに使えなくなる。
SJは予備レンズに換えにホテルへ。保険は大事やね~
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ユニークなマスク
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チェ・モチーフのその名も「CHE」のタバコ売りのオジサン
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セブン-イレブン@CUZCO
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COCA COLA「BURN」AD
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McDonald's@CUZCO 日本と同料金設定のため、トラベラー向けか
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■民芸品市場(Centro Artesanal)
ペルーはアルパカ織物が有名。
ペルーのの中でも、クスコは値頃だそうだ。
HOTEL MIDORIの方が、買い物するならここへ!のアドバイスに従い、来てみたのが「民芸品市場」
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小さなお店が大集合
観光客はあまりいない。
市内で買うよりも安い!
お目当ては、アルパカ織の帽子、マフラー、手袋など。

店を決めて、SJと個別に値引き交渉。
そして「一緒に買うからまけて!」という作戦。
ただ、最初から良心的なプライス提示のため、大幅ディスカウントはできず。
ともかく激安!
ついつい迷ったら、どっちも買えばいいじゃん!」とたくさん買ってしまった
やはり、お買い物って、人を幸せにしますね!

大人買いしたお店の人たちと
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■Pucara
今日もランチ抜きの早め夕食。
OPENして30年以上たつ、日本人が経営する正統派ペルー料理のお店
地元では安くて美味しいと評判のお店らしく、かなり混んでいた
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店内でさっそく“戦利品”を身にまとうSJ
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■HOTEL MIDORI
とてもホスピタリティの高いホテル。
アルマス広場へのアクセスもよく、また、高山病で苦しんでいたら、深夜でも酸素ボンベを用意してくださった。
なにより、働いてる人が気持ちいい方ばかり。
クスコを訪れる方には、ぜひオススメしたい!
http://www.midori-cusco.com/
リザさん
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ボーイさん
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シェフ 我が大学時代からの親友Yクンに似てる!
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朝食時、特別に作ってくれたオムレツ美味かったなぁ
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■クスコへの複雑な思い
クスコでは、歴史の重みを直観的に体感させられる。

「精密な石組みを誇るインカの建築物と、スペイン・コロニアル建築の融合が美しい街クスコ。」
このように多くの旅行ガイドでされているように、事実である。

しかし、これは、征服した側の見方ではないか?

インカの人たちを思うと、とても複雑な気持ちになる。
日本人にとって、こう考えるとどうだろうか?
乱暴な言い方だが、例えば、同時代に、他国に日本が征服されたとした場合、
例えば、江戸城の土台の上に、征服者側の建築がされたとしたら?
これは到底受け入れがたい。
征服された側からすると、悲しさだけだ。

征服「する側」と「される側」は、
語る場合は必ず、双方の視点から論じなくてはいけない。

クスコは、独特の雰囲気を漂わせている。
歴史の重みを実感する。
それは、複雑な歴史の中で時を刻んでいるからだ。



■プーノへGO!
こうして、一日クスコを満喫した我々は22:00発のプーノ行きの夜行バス乗り場へ。
海外での夜行長距離バスなんて、大学生以来!
それは、インド・バナラシからアーグラに行ったとき。
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南米紀行 2010-04/29 第9日目【インカの聖なる谷(2)】

■インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)
6000m級のアンデス山脈の無数の川を含む谷間にある「インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」。
インカ帝国の人々が残した多くの遺跡が点在。
標高はマチュピチュよりは高くなり、2,800m。
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■マラスの塩田(Salineras de Maras)
*クスコの北西58kmにマラスの村があり、そこからさらに10km
オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)の次に向かったのが、楽しみにしていたこちら。

マラスの塩田はプレ・インカの時代から続く。
代々、インカ皇帝へ献上されていたことから『インカの白金』と称えられ、
かつては遠くボリビアより商人がはるばる買い求めに来たという。

棚田塩田に溜まった水が天日に干されると、塩が表面に現れる。
谷の急斜面に張り付く棚田塩田の数は3800。
強烈なアンデスの太陽と谷を駆け降りる風が最高の天然塩をつくる!

エントランス
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圧巻の景色!
写真で見たことがある【世界遺産:トルコ・パムッカレ】と重なる。
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塩の源流
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各塩田は、こうして水量を巧みにコントロール
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ドライバー氏がガイドしてくれ理解が進んだ
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SJと
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出荷用に梱包されたマラスの塩
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出荷には、今だロバが活躍
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少年とロバ
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売店で商談中!
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美味!手作りバナナチップス
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■聖なる谷の車窓から(2)
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■モライ(Moray)
 *マラスの村から7km
モライとはケチュア語で「丸くへこんだ所」
一見、円形競技場のよう。
しかし、さにあらず。
インカ帝国時代の農業試験場。
ここもアンデネス(段々畑)。
こちらは円の直径100m、深さは100m。
上と下では、5~10°の温度差を利用し、
インカの人々は、様々な植物を植え異なる環境で育つ植物の研究を行ったと言われる。
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円のセンターはだいぶ谷底に見え、体力的に腰がひけたが、30分で往復できるというので、ダッシュ!
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とうもろこしが栽培されている
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等間隔のアンデネス
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これだけセンターは大きい
「世界の中心」に来た気分(^ ^)
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こう見ると1段あたりの高さがよくわかる。2mを裕に超えるため、ヘトヘトに・・・(写真はSJ)
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■雪化粧のアンデス山脈
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推定、サルカンタイ山? 高さが6,246m
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■聖なる谷の車窓から(3)
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■チンチェーロ(Chinchero)
*クスコから北西に約32km
ドライバー氏から「ぜひ、チンチェーロに!少し上乗せしてくれれば行くよ!」とアドバイス受けた。
我々の写真撮り過ぎ現象で、だいぶ時間も押し、すでに日が暮れてしまったのだが、
せっかくなので“一瞬だけ”(15分程度)の観光。

インカ帝国時代は王室農園があった場所で、
現在はスペイン植民地時代に建てられた白壁の教会が残る。
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教会広場では、市場も立つ。
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■サン・クリストバル教会
クスコ市内に戻ったところで、ドライバー氏に最後にわがままをきいてもらい、サン・クリストバル教会へ。
ここは、高台に位置する教会。
クスコの街を一望できる。
夜の治安は悪いそうなんだけど、現地の人を一緒なら安心。
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我々はここで、重い思いをして運んだのに使う機会のなかった三脚を持ち出し、
クスコの街をファインダーにおさめた。
ドライバー氏は苦笑。
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ホテルまで戻ってもらう。
当初、120SOL≒4,000円(1名@2,000円)だったが、
お礼も含め、185SOL≒6,100円(1名@3,050円)支払った。
道が狭い一通で、後ろにクルマが来てしまい、ドライバー氏とちゃんと別れができなかったのが残念だが、
いいドライバー氏だった。


■今後のプランニング決定
クスコに戻り、休む間もなくアルマス広場へ。
最初の仕事は、旅行代理店での今後のチケット手配。
クスコ初日に買い物したときの家族のパパが勤務する旅行代理店へ。
今日は、そのパパの上司と思われる方と一緒に対応してくれた。

当初のプランだと、
明日朝一から、クスコ⇒プーノをバスツアーする予定だったが、
マチュピチュSTAYを1日延ばしたため、旅のプランの変更を余儀なくされた。
まず、明日の予約をキャンセルした。キャンセルFEEは発生せず。

あまり選択の余地はなく、SJと検討の結果、こうなった。

4/30 クスコ ⇒*深夜バスでプーノへ
5/1 プーノ(*ウロス島・タキーレ島:チチカカ湖クルーズ)⇒*夜、バスでアレキパへ
5/2 アレキパ ⇒深夜バスでナスカへ
5/3 ナスカ ⇒深夜バスでリマへ
5/4 リマ
5/5 深夜OUT

かすかな可能性があった、ボリビア・ウユニ塩湖は断念。
また、クスコ⇒プーノの移動も1日かけている場合ではない。
OH!ワクワクするほどすごい、強行日程!
これに合わせて、チケットの手配を依頼する。
もう、旅のフレキシビリティはなく、日程がFIXされた以上は、
各地で、都度、チケット購入は時間の無駄。可能な限り、この場で済ませてしまう作戦にした。

上記、*の3つを手配することにした。
・クスコ⇒プーノ区間BUS(クスコ市内からBUS乗り場へのピックアップあり)
・チチカカ湖クルーズ:ウロス島・タキーレ島(BUS乗り場⇒ツアー⇒BUS乗り場へのピックアップあり)
 ウロス島だけのつもりが、タキーレ島に行くべし!とリコメンド受け、時間的には大丈夫なのでそうした。
・プーノ⇒アレキパ区間BUS
※ナスカ⇒リマ間は、予約できるバスの発着が夕方と早く、現地で探すことにする。
 最悪、ナスカまでこれれば、リマ行きが一日遅れても問題ないし。

入手している情報からすると、100US$が妥当。
それに対して、二人分合計で@260$という価格表示
どうせボリ価格だろう?と思い、
交渉開始。一部始終はこんな具合。

我々「情報によると100US$と書いている!」と、100US$を主張し、交渉開始。
相手「たしかに安さだけ求めたら、100US$も可能。だけど、パッケージの内容が違う。
 安心のパッケージなんだよ!
 まず、プーノ行きのバスは、最高クラスのもの。シートがフラットリクライニングできるから、楽だよ。
 それに、クスコバスステーションまで連れていくし、
 プーノに着いたら、信頼できる私の友人がキミたちを案内してくれる。迷うことはないんだよ。」
我々「それはありがたい。だからといって、60US$は付加価値をつけすぎじゃない?
  (いつもの)我々はHAPPYだ。あなたがたのような親切な人たちと出会えた。
  だから、ぜひ、このチケットもあなた方から買いたい。
  (マック店員のようなスマイルで)我々は友達だよね?
  じゃ、駆け引きはしたくないから、これでDONEとしよう。
  間を取って、230US$!」
相手「(苦笑しながら)・・・それだと、ウチは赤字になっちゃうよ。じゃ、こうしよう、240US$!」

それにしても、会話が流暢なこの“ヤリ手”上司。
何を聞いてもスラスラ。
営業として、商品のすべての情報を把握し、相手が望む情報を伝えること。
これは商品が違えども、国が違えども、万国共通事項。
異国の地で、営業の鏡に出会い、プロ意識を学ばせてもらった。

交渉を終えた我々(左がパパ、右が上司)
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■CHICHA
クスコでの一仕事を終えたころ、空腹に気がついた。そういえば、ランチ抜きだった。

ペルーで最も有名とされるGASTON ACURIO氏が展開する「CHICHA」へ。
まずは洗練された空間がGOOD!
まるでペルーであることを忘れてしまうぐらい。
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料理はペルー料理ベースのフュージョン料理。
空間同様、洗練テイスト!
料理はリコメンドに従い、
Ceviche
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Lomito do Cerdo
香ばしく焼いた豚ロースをハチミツ入りマスタードソースで。
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野菜盛り合せについてポテトはウサギになっている
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とても親切に対応してくださった店員さん
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こうして、盛りだくさんの1日がふけていった。



南米紀行 2010-04/29 第9日目【インカの聖なる谷(1)】

■Machu Picchu
まる2日間、Machu Picchu観光を謳歌した我々。
大満足で、後にした。

■La Cabaña
ホテルを紹介しておこう。
マチュピチュは、大観光地なだけに、総じてホテル代が高い
1泊追加で合計2泊させてもらったホテルが「La Cabaña」
ホスピタリティの高い、居心地のいいホテルだった
http://www.lacabanamachupicchu.com/index.html
 ※高山病対策に、今後、酸素ボンベサービスをしてくれると、なお、ウレシイです!

優しい、フロントのオネーサン
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■駅前マーケットでお買い物
PERU RAILの発時間は9:26
ゆったりと朝食をすませた後、実家に絵ハガキを書く。
気付くと時間がない!
郵便局に寄る時間がなくなり、上記のオネーサンにポスト投函をお願いした
学習しない我々は、ダッシュで駅に向かう・・・

ウルバンバ川
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しかし、さらに学習しない我々。
9:26は電車が駅に着く時間。
Departure timeは30分後の9:56だったのだ

30分、空きができた我々は、駅前マーケットを散策。
しばしのショッピングを楽しむ。

彩り鮮やかなお土産
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■PERUの車窓から
PERU RAILに乗車
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アテンダントのオネーサンとお兄さん
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荒々しく、雄大なウルバンバ川
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線路沿いで見かけた人たち
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PISCAUCHO駅到着
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到着を待ち構えていた駅員さん
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PISCAUCHO駅からOllantaytambo駅へは送迎バスあり。移動中の車窓から
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■インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)
6000m級のアンデス山脈の無数の川を含む谷間にある「インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」。
インカ帝国の人々が残した多くの遺跡が点在。
標高はマチュピチュよりは高くなり、2,800m。
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旅行ガイドには、クスコ発のツアー参加がベストという声が多いが、
我々はマチュピチュからの帰路を利用し、自分たちでタクシーをチャーターした。
オリャンタイタンボ駅での最初の仕事がタクシドライバーとのチャーター交渉。
声をかけてきてくれたドライバーが2名いた。
英語が通じ、人がよさそうな方のドライバーに決めた。

条件は、夕方まで聖なる谷を巡った上で、夜クスコ着。
120SOL≒4,000円(1名@2,000円) で交渉成立

Ollantaytambo駅前で、まずは、ドリンク購入。キレイに陳列された駅前売店!
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売店のおばちゃんと記念写真
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売店の隣にいたオネーサン
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■オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)
まず、最初に目指したのが、「オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)」
 *「タンボ」とはケチュア語で「旅籠」の意味
 *クスコから北西に約88km
「聖なる谷」のほぼ中央に位置し、「オリャンタ村」の奥にある。
インカ時代の、「宿場町」とも、スペイン軍に抵抗する「大要塞」だったとも言われているが解明されていない。
遺跡の手前にあるこの村では、インカ時代の灌漑用水路や下水道が現代でも使われているそうだ。
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ビラコーチャ(太陽の神)と言われる人面の岩
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“小さなマチュピチュ”に見えるとも言われ、かなりの急斜面に作られたアンデネス(段々畑)が続く。
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ここでも、剃刀の刃1枚も通さない、といわれるほど精巧な石組み。お見事!
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階段を300段上る。
やはり、標高が高いからか、かなりキツイ・・・

「太陽神殿」だったと言われる建造物がある広場に着く。
6つの巨石を並べた「太陽神殿」は、高さ4m、幅10m。圧巻!
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オリャイタンタンポの村を一望
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ブラウン管TVに見える
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見応えのある遺跡を堪能した。


■聖なる谷の車窓から(1)
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↓↓↓
■マラスの塩田(Salineras de Maras)
■モライ(Moray)
■チンチェーロ(Chinchero)
は後篇において。



南米紀行 2010-04/28 第8日目(2)【マチュピチュ】

■再度、マチュピチュへ
ワイナピチュ入口付近から再度見学。
まず目に入ったのは修復作業
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迷路のような通路
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水汲み場につながる水路
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見事なる精巧な石組み
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技術者の居住区
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コンドルの神殿
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太陽の神殿と陵墓
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王女の宮殿
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皇帝の部屋
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重厚な作りの二重扉
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■マチュピチュとリャマ
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★今回数ある「マチュピチュとリャマ」のMY BEST!
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■マチュピチュとリャマと我々
リャマ同様に、マチュピチュを見つめる
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リャマ同様に、草食の真似をするSJ(^◇^;)
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■“天空都市”MACHU PICCHU全景
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■500年前の再現
http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/01-incan/machu-pichu/walk-tour.html
「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用


■ハイラム・ビンガム
マチュピチュ遺跡の発見者ハイラム・ビンガムはホノルル出身。
ハーバード大学で歴史学と政治学の博士号をとった新進気鋭の学者は、
イェール大学で南アメリカ史を教える講師になる。
ペルー訪問の際、オリャンタイタンボを見学して強い興味を覚える。
1911年、イェール大学ペルー探検隊を組織して、ペルー入り。
そして7月24日、マチュピチュを発見。
ビンガムは、そのときの驚きを手記で伝えている。
「突然、目の前に廃墟が現れた。あたりは樹木や苔で覆われ、はじめはよく見えなかった。
だがそれは、世界でもっとも美しい石壁だった」。
ハイラム・ビンガム
彼は英雄となる。
その後、大ヒット映画「インディ・ジョーンズ」のモデルともいわれる。

かつて考古学を志したボクは「インディ・ジョーンズ」が好きであり、
そのモデルといわれるハイラム・ビンガムには大変興味があった。
その大発見が世界的に有名なマチュピチュときたら、訪問しないわけにはいかなかったわけである。

しかし、モノゴトを語る際には、常に“光と影”“表と裏”両面を考える必要がある
彼の業績は素晴らしい。
しかし、ペルー人からすればこんな見方もある。

「インディ・ジョーンズ」が持ち去ったインカの遺産、ペルーに返還
2007年09月18日 18:58 発信地:ニューヨーク/米国
【9月18日 AFP】映画シリーズ「インディ・ジョーンズ(Indiana Jones)」の主人公を地で行くような人物が、約100年前にインカ帝国(Inca)の古代都市マチュピチュ(Machu Picchu)から持ち去った文化遺産数千点が、現在の保管先の米エール大学(Yale University)からペルー政府に返還されることが決まった。

 エール大学の歴史学教授だったハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)は1911年、アンデス山脈を探検中にマチュピチュの遺跡を発見。遺跡はその後、1500年代に建造されたインカ帝国の古代都市跡であることが判明した。ビンガムはインディ・ジョーンズのモデルのひとりと言われる。

 その後5年間で、ビンガムはミイラ、陶磁器、遺骨、芸術品など数千点を米コネティカット州(Connecticut)にあるエール大学に持ち帰っていた。

 先週末、エール大学とペルー政府は共同声明を発表。数か月にわたる交渉の結果、エール大学は発掘品がすべてペルー側に所属すると認め、返還することで合意していた。

 合意内容によると、ペルー側はクスコ(Cuzco)に博物館と研究センターを新設し、返還される4000点の文化遺産を保管、エール大学がアドバイザーとして参画する。これに先立ち、世界で巡回展示を行って文化遺産を紹介する。

 博物館はビンガムのマチュピチュ遺跡発見からちょうど100年目にあたる2011年に開館予定。マチュピチュは現在、ペルー最大の観光地となっている。(c)AFP

⇒引用 http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2284983/2158088

決して、ビンガムの評価が下がるわけではない、と考える。
繰り返しになるが、ビンガムの業績は素晴らしい。
ボクは、考古学を志した者として、彼をリスペクトしてやまない。
ただ、モノゴトを一方的側面しかみないのはよくない、と心に留めている。


■ゲバラとMACHU PICCHU
『モーターサイクルダイアリーズ』は、
若き医学生チェ・ゲバラと友人アルベルト・グラナードの南米縦断の旅行記。
モーターバイクにまたがり祖国アルゼンチンを出発するが、
バイクはほどなく壊れてしまい、ヒッチハイクでチリを経て南米を縦断していく。
映画化もされているのでご存知の方も多いだろう。
モーターサイクルダイアリーズ

その過程ではペルーに入り、マチュピチュにも訪問している。

若き医学生チェの革命への萌芽がみられ、チェ・ファンは必読書であり、
チェ特有のチャーミングな表現が彩ってくれ、旅行記としても面白い。

今でいう“旅ブログ”をまとめたようなものである。

その中でマチュピチュをこう書いている(申し訳ないけど、翻訳がちとうまくない・・・)

確かなこと、重要なことは、僕らはここで、アメリカ大陸でもっとも強大であったインディヘナ文明の純粋な表出を、目前にできるのだということである。この文明は勝者の文明に汚されることなく、役目を果たせなくて退屈をもてあましている城塞の間や、それを取り囲んている素晴らしい景色の中には、計り知れない回顧の財宝が満ち満ちている。またこの景色は、ここの遺跡の間を意味もなく徘徊する夢追い人や、あるいは旅慣れた北米人を恍惚とさせるのに必要な環境を提供している。
『モーターサイクルダイアリーズ』より引用




■“天空都市”MACHU PICCHU総括
標高2,400mの断がいの頂に建つ天空都市は
何のために作られ、
何のために放棄されたのか、
諸説あり、今だ解明されていない。
インカ文明が文字を持たなかったことも原因。

数百年もの間、時代に置き去りにされていたマチュピチュ。
だから、インカ帝国の栄光がそのまま残っている。
インカ文明の最高技術を、我々は21世紀の今日、観ることができる。
謎多きマチュピチュ。
遥かなるインカ帝国に思いを寄せ、しばし、歴史のミステリーを探ってみた。
ボクは、マチュピチュは、「インカ文明の宗教施設説」が近いのでは、と考える。

時空を超える想像。
インカ文明に、ビンガムに、チェに、
彼らの息づかいにちょっとだけ近づけたかもしれない。
それは、至福の時間。



■ふたたび、INDIO FERIZ
マチュピチュ村のメインストリート バチェクテック通り
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ステキなポストカード
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夕食には、前日印象がよかったためINDIO FERIZを再訪!
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今日は食欲も戻り、コースをチョイス 
素材の良さを、フレンチテイストがさらに高みに引き上げており、うまかったなぁ♪

前菜は、リコメンドの「地元野菜盛り合せ」 ボリューミー!
ようやく体調復活したためアルコール解禁! 
ドリンクは「ピスコ・カクテル」 ブドウの蒸留酒ピスコベースのカクテル しかしアルコール度高すぎ・・・
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ボイルドエッグがウサギのカタチ
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メインは、これまたリコメンドに従い、地元で獲れた「マスのムニエル チリソースがけ」
魚でなければ食べきれない量だった チップスもうまし
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SJはメインに、パスタを
あまりのボリュームに“二郎”と口走りながら、残していた、、^^;
パスタは推定フィットチーネ
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デザートのプリンは濃厚美味
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■温泉
マチュピチュ村はかつて「アグアス・カリエンテス(熱い水)」と呼ばれていたように、
温泉が湧き出るのだ。
日本の反対側のアンデスの地で温泉に入れるなんて!
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日本の温泉をイメージすると、それとは異なる。
市民プール風なところに、水着着用で入る。
湯は、濁っており、ぬるい。
しかし、疲労のたまったカラダは癒され、
紛れもなく、アンデスの極上温泉だった

こうして、今日も大満喫の1日となった!





南米紀行 2010-04/28 第8日目(1)【ワイナピチュ】

※本日も2部制。
午前中のワイナピチュ登山の様子をレポート!

■WUAYNA PCCHU
マチュピチュ遺跡は、ケチュア語で
 ‐「老いた峰」を意味するマチュピチュ山
 ‐「若い峰」 を意味するワイナピチュ山
に峡まれている。
マチュピチュ遺跡の定番写真の、奥にそびえ立つ、天空を切り裂くように尖った山、それが「ワイナピチュ山」
頂上からのマチュピチュ遺跡を一望できる絶景が旅人たちを魅了する。
ワイナピチュにも建造物があり、インカ時代には「見張り台」の役割だったと考えられる。
往時の登山道で昇降する。
標高は2700m。マチュピチュ遺跡が標高2400mだから、標高差は300m。
麓からおよそ1時間半の登山。


■早朝勝負
事前情報によると、ワイナピチュは、
 ‐1日400名の入場制限
 ‐マチュピチュ遺跡入口で整理券配布
 ‐7:00OPEN
だそう。

クスコから日帰りでマチュピチュに来る場合は難しいが、
マチュピチュに1泊するなら、定番コースにつき、大混雑は必至。
だから、OPENする7時にはワイナピチュ入口にいなくてはならない。
逆算すると、6時過ぎにはバスに乗る。
そこで、5時起床。外は、まだ、真っ暗。
支度を整え、ホテル1Fに降りると、多くの人が朝食を取っている。

マチュピチュは食べ物持込み制限禁止のため、
食欲はなかったが、ムリして頬張った。

坂道を下ること5分、遺跡へのシャトルバス乗り場へ。
オッ!早くも長蛇の列(>_<)
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バスは、ハイラム・ビンガム・ロードを25分で、マチュピチュ遺跡入口へ。
ワイナピチュの入口は奥にある。
ここからダッシュで入口を目指す。
ダッシュのおかげで、
ワイナピチュ入口では、かなり前に陣取ることができた。
朝からいきなりハードワーク(ゝ。∂)
長蛇の列!
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麓から見上げると、頂上は天空にせり出している!
この急峻な岩山をはてして登ることができるのか?と躊躇してきた。


■登山
開門をしばし待ち、いざ登山スタート。
入口では、名前と入山・下山の時間を記入するそうだ。
実際、滑落する人がいるそうで、その対策。
そういえば、整理券はなかった。

はじめは、ゆるやかなUP DOWNであったが、
少しすると勾配が激しくなってきた。
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登山道は、かなり、だいぶ、すごく急勾配で、大半が石積みの階段。
整備された日本の感覚だと、足場は悪い。
緑でおおわれているからいいものの、
断崖絶壁の石段を登っていくので、一歩間違うと山から滑落してしまう。
(実際、大怪我を負う人もいるようだ)
危険なことは承知しているのだが、
あまりにハードなため、その感覚がマヒしてくる。
危険だ(>_<)

ご覧ください!この登山道。
ときに、角度が60°を超えるのでは?というところもある。
ロープが使えるところは、ロープ伝えに“よじ登る”。
もはや階段を登るではなく、“梯子をよじ登る”感覚だ。
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ロープウェイがあったら迷わず乗車するだろう^^;

もはや余裕なんてなく、目の前の一歩一歩を登ることしか考えられない。
大事は、一歩一歩の積み重ねにより達成できる。
「山登りは人生だ!」と自分に言い聞かせ、気力をふりしぼる。


映像はうまく撮れてないんですが、、、



徐々に周囲の景色が開けてきる。
途中休憩をとると、眼下には、マチュピチュ遺跡。
こうしてみると遺跡が、「山脈の峰」に建設された“計画都市”であることがよくわかる。
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200mいける望遠レンズ大活躍! http://ow.ly/26LmI
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遠くには雪化粧した山 ハッとする美しさ!
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再度、“よじ登り”。頂上はもう間もなく。
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こんなに狭い通路
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階段
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ハイラム・ビンガム・ロードはこんなにクネクネしている
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急斜面さがよくわかる
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頂上手前には「四つん這い」でないと通れない通路もある
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■頂上
休憩とりながら、写真を撮りながら、
厳しすぎる急斜面を、息を切らせ登ること、およそ1時間20分で山頂

すばらしい景観\(^o^)/
ワイナピチュの頂上からはマチュピチュ遺跡の全景、連なる山々にウルバンバ川、ハイラム・ビンガム・ロードが一望できる。
エンジェルフォールで感じたように、努力した者のみがそのご褒美をもらえた感覚
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ワイナピチュは、旅人がマチュピチュを一望するための登れるようになったものではない。
インカ時代には「見張り台」の役割だったと考えられる
ここにも遺跡があり、巨石があり、段々畑もある。
人が登るだけでもこれだけ厳しいのに、どうやって?
それは、“歴史のミステリー”!

文字通り違った角度から、マチュピチュを知ることができた。

しばし、心地よい風を受けながら、
頂上からの絶景を鑑賞した。
そして、“歴史のミステリー”へ思いを馳せた。
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みんなも絶景を堪能中
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頂上“も”囲いも何もない断崖絶壁。
その一番高いポイントで“カッコツケ”写真撮影(まさに命がけ! 真似しないで!)
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ここが一番危険!
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■下山はタノシ
下山の方が危険!
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にもかかわらず、楽しい!
以前、ロードバイクにはまり、毎週のように、箱根をはじめとする
関東近郊の山々をアタックしていたことがある。
元来、スピード狂なこともあるのだろう。
そのときからから、「くだり」は大好き!
「上り」に比べたら、あきらかに、楽だし。

同様に、下山は楽しい。
一般的には、恐いはずだけど
他の旅人を圧倒するハイスピードで下山する。

ときには、後ろ向きになって降りないとこわいところも。
こんな感じ
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それにしても、
登山道を上から見てみると、この具合。
よくぞ、こんな道を登ったものだ!
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■ワイナピチュの植物
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■月の神殿
ワイナピチュからさらに足を延ばせば、「月の神殿」に行ける。
が、疲労により、断念・・・


10:30にはワイナピチュの入口に戻った。
これから登る旅人たちが長蛇の列だ。
どっと疲れが出たため、寝てしまった。

さぁ、これから、マチュピチュ遺跡見学だ!



南米紀行 2010-04/27 第7日目(2)【マチュピチュ】

■マチュピチュ概要
マチュピチュの歴史保護区
Historic Sanctuary of MACHU PICCHU

複合遺産(文化、自然の両者の価値を兼ね備えた遺産)
1983年12月9日登録
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■マチュピチュの発見
マチュピチュはアンデス山脈のほぼ中央、海抜2,400mの断がいの頂に建つ天空都市である。その荘厳さはまさに世界遺産の名にふさわしく、見る者を圧倒し魅了する。マチュピチュは「年老いた峰」という意味で、15世紀半ばに第9代皇帝パチャクティによって、王の私領(エステート)として築かれ、100年ほどで放棄されたと考えられる。

インカはマチュピチュに代表されるような石造都市をアンデスに数多く築いた。だが、そのほとんどはスペインの侵攻により破壊されてしまった。そうした中、往時の都市構造をそのまま残すこの遺跡は、インカを知るうえでの貴重な手がかりとなっている。

いわゆる大航海時代、アンデスに眠るといわれる伝説の黄金郷・エルドラドを目指し、多くのスペイン人がジャングルの奥深くにまで分け入った。だが、彼らもこの天空の都市には気づかなかったようだ。
マチュピチュの発見は、それより時が下った1911年、植民地時代初期のインカの拠点・ビルカバンバを探しにやってきたアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムによってだった。

「突然、目の前に廃墟が現れた。あたりは樹木や苔で覆われ、はじめはよく見えなかった。だがそれは、世界でもっとも美しい石壁だった」。
ビンガムは手記で、そのときの驚きを伝えている。ビンガムは最初、ここがスペイン征服後、国土回復を目指したインカ王、マンコ・インカが築いた城砦都市・ビルカバンバだと考えた。だが、その後の調査で、ビルカバンバはさらに北の山間に存在する遺跡であることが判明した。
遺跡発見から100年、マチュピチュでは今も発掘と復元が続けられている。


■インカ文明におけるマチュピチュの位置づけ
マチュピチュは、皇帝パチャクティが子孫の生活のために作った私領であった。パチャクティは、存命中は冬になると首都クスコからここに移り住み、いわば「インカ皇帝の冬の都」ではなかったかという意見もある。神殿、塔、宮殿などの建造物は、安山岩や花崗岩を寸分のすき間もなく組み合わせた造りで、当時の技術の高さがうかがえる。また、太陽を観測し、暦を定める場所だったと推測される施設、灌漑(かんがい)設備、ミイラが安置されていたと考えられる洞くつなど、マチュピチュに現存する多くの遺跡から、インカの建築技術、文化的要素、さらには人々の暮らしぶりまでをも知ることができる。

さらに、農耕の基盤だったアンデネスと呼ばれる段々畑の跡も、この文明を知るうえでは見逃せない。アンデネスでは、200mほどの高度差がもたらす5度以上の温度の違いを利用して、それぞれ生育温度の違う作物が20種類以上も作られていた。例えば、寒冷な上方ではじゃがいも、暖かい下方ではトウモロコシを栽培していた。
アンデスで育てられていたじゃがいも、トマト、トウモロコシ、唐辛子などは、後に海を渡り、世界の食文化を大きく変えることとなった。

「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用  http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/home.html



■“天空都市”MACHU PICCHU
さぁ、行きましょう!
濃い霧の中、いきなり急勾配の山道を10分ほど歩くと、
忽然と目の前に現れる石造りの遺跡。
霧をまとった姿は神々しい。

「百聞は一見にしかず」 その絶景をご鑑賞ください\(^o^)/

霧をまとうマチュピチュ
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あとで気がつくが、インティンプンクへの道を歩いてしまった
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カワイイ リャマたち
カメラマン魂に火がついた!頭痛は忘れていた(^_-)
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艶やかな植物
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道の間違いに気がつき、再度、引き返す^^;
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ふたたび、リャマ!
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おなじみ絶好ポイントから 少しずつ位置を変えて何枚か!
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ふたたび、霧をまとってしまったマチュピチュ
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記念写真!
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市街地入口の門 門越しにはワイナピチュ
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見つけた植物
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ワイナピチュの岩 ワイナピチュの形をかたどっている
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農業試験場
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巨大な石 SJと比較するとスゴイ
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「最短2時間半で観れる」と事前情報があったが、
なにせ、シャッターを押しまくるもんだから、ぜんぜん進まない(^_^;)

マチュピチュは、UPDOWNが激しく、足場も決してよくない。
スニーカーではキツイ。トレッキングシューズが必要。
忘れていた頭痛と相成り、だいぶ疲労も出てきたころ、
係員に「早く帰るように言われる」。時計は17時を指す。
17:30が退場時間だから、今日はここまでとして、遺跡出口に向かって歩く

リャマ
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アンデネス(段々畑)
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このエリアは明日
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断崖絶壁に立てられていることを実感できる
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今日はここまで!また、明日がある!
旅行ガイドには、「マチュピチュは、クスコから日帰り可能」とあるが、可能ではあろうがオススメしない。
1日延泊した判断は正しかった!

帰りのバスに乗りこみ座った瞬間、
忘れていた頭痛が襲ってきた(>_<)
しばし、村までの25分を熟睡zzz


■TOTO’S HOUSE
川沿いのシャレオツレストランに入ってみた。
TOTO’S HOUSE
パッと見、天山温泉@箱根
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ピザは、ズバリ、“宅配ピザ”味。
余談だが、「アメリカンピザ」(ボクは宅配ピザをこう呼ぶ)と本場「ナポリピザ」はぜんぜん違う食べ物。
それは、例えば、カップラーメンとラーメンのようなこと。
でも、ともにオイシイから好き(^^)
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フォルクローレの演奏
♪ラ・バンバもあり
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■INDIO FERIZ
さて、本格ディナー!のつもりで、
マチュピチュ村一番人気という噂の「INDIO FERIZ」へ。
ここは、マチュピチュ在住15年のフランス人シェフが創るフュージョン料理で有名だそうだ!
が、頭痛と疲労が重なり、もう食欲がなくなってしまった(>_<)
ボクは、デザートだけにして、
SJの食事中、また、寝ていたzzz
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くたくたでホテルへ戻る。
わずかな距離なのに、急な坂道がこたえる(,。.)
たまらずマッサージに寄った(^^)(60min 20US$)

こうして、マチュピチュ1日目は暮れていった


■一日を終えて
(総括はあらためてします)
海抜2,400mの断がいの頂に建つ“天空都市”マチュピチュ。
そのあまりの美しさと荘厳さに、人々は圧倒され、魅了される。
数ある世界遺産の中でも、マチュピチュがあれだけ支持される理由が体感できた(^O^☆♪


自分としては、あの体調の悪い中、よくぞ動いた!
いかなる理由があろうとも、ACTIONしないといけないときがある。
そこでACTIONできない奴はビジネスも、さらには人生もうまくいかない!
と、自分に言い聞かせ立ち上がった、あのときの行動に拍手)^o^(

明日は、またも4時起きで、まずはワイナピチュ登山!(マチュピチュ遺跡の西側にそびえる山)
そして、マチュピチュ見学!







 

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