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南米紀行 2010-04/30 第10日目【クスコ】

本日は、一日かけて【世界遺産:クスコ】観光!

いろいろ周りました

■【世界遺産:クスコ市街(City of Cuzco)】概要
[登録年:1983年]
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「クスコ」とは現地の言葉ケチュアで「 へそ 」の意味で世界の中心を表す。
標高3500mのアンデス山脈にある歴史都市。
太陽神を崇拝し、1200年から1533年の間、アンデスに帝国を築いたインカの首都として、
政治、経済、文化の中心地であった。
建造物は精巧な石組みで建てられ、今でもインカ文明の高い技術力を知ることができる。
16世紀、スペイン人がこの地を征服。
スペイン人はインカの強固な礎石の上に、華麗なコロニアル様式の建築を建設。
複雑な歴史の中で融合した、二つの文化。
クスコは、悠久の時を超えて語りかけてくれる。

インカ文明とは?

インカ文明は、現在のペルーのクスコを首都に、南米大陸の西側を貫くアンデス山脈、さらには山脈西側の海岸部や東斜面のセルバ(熱帯森林の入り口)をも含む広い地域に栄えた。15世紀末ごろには、北はエクアドル国境近くのコロンビアから南はチリ中部まで、南北4,000kmにわたる長大な国家に発展した。太陽の子を名のる皇帝は、神の化身としてあがめられた。中でも第9代皇帝パチャクティは、大帝国建設に着手しただけでなく、優れた手腕で国を統治し、賢く公平な王と称えられた。地方貴族とインカの皇女の間に生まれたワマン・ポマが残した年代記には、飢饉の際には食料や衣服が、国家の土地を耕すときには農具や食料が国から無料で支給され、病人や老人も安心して暮らせる福祉国家だったと記されている。

インカは、当時のヨーロッパをもしのぐ豊かさを実現していたといわれている。その繁栄を支えたのが、帝国全土に張り巡らされたカパック・ニャン(インカ道)と呼ばれる道路網だ。皇帝の視察や軍隊の遠征、物資や情報の輸送にも使われていたというインカ道は、皇帝の統治を地方にくまなく行き渡らせ、また広域的な交換をも促す重要な役割を担っていた。
インカでは太陽を最高神として信仰していた。また、創造神や雷神、大地母神などアンデス伝統の神々をも受け継ぎ、その神々にも供物や生けにえを捧げた。生けにえは主に動物だったが、ときに幼児や若者が犠牲となることもあったという。
インカでは、ミイラの存在も重要だった。皇帝は死後ミイラとなって生き続けることで、権力を永遠のものとした。

インカは、今も謎に包まれた文明である。それは文字を持たなかったためで、文明を知る手がかりといえば、インカの末えいやスペイン人が植民地時代初期に記した年代記によるところが大きいからだ。また、スペインによって多くの遺跡が破壊され失われてしまったことも大きい。それでもインカを象徴する都市・マチュピチュが発見されるなど、研究が進み、徐々にではあるが文明の謎が解き明かされつつある。

「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用  http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/01-incan/who.html



■インカミュージアム(Museo Inka)
17世紀はじめに建てられたコロニアルな邸宅で、
かつての海軍提督ドン・アルドレッテ・マルドナルドの邸宅であった。
クスコ市内に数ある大邸宅のなかで最も格式のある屋敷で、
出窓に3つ折の戸がついているスペイン・モーロ型の建築である。
館内は、「プレ・インカ」「インカ」「スペイン統治」と時代ごとに、
陶器や織物などが展示されている。
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1F広場では、アルパカ織が実演されていた
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2Fにあった売店で民芸品を購入。
このおじさんご自身が作られています
写真用にご自慢の品を首からかけてくださいました!
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■12角の石(La Piedra de Los Doce Anguios)
宗教美術博物館の外壁に埋め込まれた12の角を持つ「12角の石」。
アトゥンルミヨク通り沿い、壁のまん中あたりにあり、ほかの石と比べるとひと回り大きい。

「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われるように、
隙間なく組まれた石組みは、見事な一言!
石を削って接合させるだけでなく、角と落とし丸みをつけたり、大きさや角度を変えて耐久性を高めたりしている。
時空を超え、高度なインカ文明の技術の高さを、21世紀の今にも誇示している。

SJとならぶとこの大きさ
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■14角の石(Piedra de catorce anglos)
こちらは、幅30センチ程。
「12角の石」に比べ、あまり認知されていないが、
こちらの方がphotogenicかも。
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■ピューマの石(Piedra de Puma)
インカで神聖視されていた動物プーマの形をした石組み。
わかりますか?
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答えはこちら。指を指したのは頭部分。なるほどなるほど、わかりますね。
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■宗教美術博物館(Museo de Arte Religioso)
「12角の石」がはめ込まれたインカの石壁を土台として建てられた旧大司教庁。
入口のレリーフ、中庭などクスコ市内に残るコロニアル建築のなかでも一級品。
中庭中央にある噴水は、精巧なレリーフで飾られた優美なもの。
館内には300年以上前の家具などが当時のままの状態で展示されている。
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■サン・ブラス教会(Iglesia San Blas)
アトゥンルミヨク通りを上りきった所に建つ。
外観のみ観光。後で知ったのだが、
立派な祭壇が供えられており、精緻な彫り物は1本の木をくり抜いて造られた、
世界でも5本の指に入る芸術作品だそう。


■アルマス広場(Plaza de Armas)
カテドラル、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会、レストラン、旅行会社、おみやげ屋に囲まれた
観光の拠点になっている広場。
クスコ市民の憩いの場でもある。
一日中、人々で賑わう。

インカ帝国時代には、街の中心として、ワカイパタ、アウカイパタのふたつに区切られ、
神聖な土はインカが征服した町に印としてまかれ、
代わりに300km以上も離れた海岸の砂がここに敷きつめられたという。
さらに広場には、金銀でできた像がいくつも立っていた。 

スペインは外国都市を征服すると、
アルマス広場とカテドラルを建設し、そこから植民地化を進めた。
クスコはここに建設された。


■カテドラル(Catedral)
クスコの中心地・アルマス広場に鎮座する重厚なコロニアル建築の大聖堂。
インカ時代のビラコチャ神殿の跡に、
1550年から、100年もかけて建てられて荘厳な建造物。

ポトシの銀300トンを使ったメインの祭壇は一見の価値がある。 
また、屋根には1659年に付けられた南米で一番大きな鐘があり、その深い響きは、遠く40km先まで届くという。
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■ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会(Iglesia de la Compania de Jesus)
かつてインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられたファザードが美しい教会。
現在ある教会は、1650年の地震のあとに再建されたもの。 
カテドラルの絵を手がけた画家、マルコス・サパタによって描かれた見事な壁画やすばらしい祭壇は秀逸。
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■ロレト通り(Calle Loreto)
アルマス広場からラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会の横を入っていく、200メートル以上ある石畳の細い路地。
見事な石組みの壁は、最もインカ時代の雰囲気を残す通りのひとつとされている。
インカの時代には、インティ・キジュ(太陽へ向かう道)と呼ばれ、
その先には、太陽の神殿コリカンチャがそびえ立っていた。
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■サント・ドミンゴ教会/コリカンチャ=太陽の神殿(Iglesia de Santo Domingo/Qorikancha)
インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿として黄金に光輝いていた。
16世紀、スペインによる征服後、神殿から黄金を取り除いたスペイン人は上部を壊し、
土台の上にチュリゲレス様式の教会を建てた。
しかし、クスコ大地震の際、教会は無残に崩れ落ちたが、
土台の石組みはひずみひとつ起こさなかったという話は有名。
現在も発掘、復元が続けられている。
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「最も小さなインカの石」 幅3cm程度!
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EL Peru(ペルー万歳!) サントドミンゴ教会からみた山に書いてあるペルーのシグネチャー。
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庭に咲く植物
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■クスコの街中から
子供たち
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街ゆく人々とアルパカ(リャマじゃないですよね?)
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ブラピ似!?
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スカスSJ@HOTEL MIDORIの前の壁
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事件発生!調子悪かったSJのレンズがついに使えなくなる。
SJは予備レンズに換えにホテルへ。保険は大事やね~
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ユニークなマスク
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チェ・モチーフのその名も「CHE」のタバコ売りのオジサン
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セブン-イレブン@CUZCO
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COCA COLA「BURN」AD
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McDonald's@CUZCO 日本と同料金設定のため、トラベラー向けか
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■民芸品市場(Centro Artesanal)
ペルーはアルパカ織物が有名。
ペルーのの中でも、クスコは値頃だそうだ。
HOTEL MIDORIの方が、買い物するならここへ!のアドバイスに従い、来てみたのが「民芸品市場」
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小さなお店が大集合
観光客はあまりいない。
市内で買うよりも安い!
お目当ては、アルパカ織の帽子、マフラー、手袋など。

店を決めて、SJと個別に値引き交渉。
そして「一緒に買うからまけて!」という作戦。
ただ、最初から良心的なプライス提示のため、大幅ディスカウントはできず。
ともかく激安!
ついつい迷ったら、どっちも買えばいいじゃん!」とたくさん買ってしまった
やはり、お買い物って、人を幸せにしますね!

大人買いしたお店の人たちと
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■Pucara
今日もランチ抜きの早め夕食。
OPENして30年以上たつ、日本人が経営する正統派ペルー料理のお店
地元では安くて美味しいと評判のお店らしく、かなり混んでいた
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店内でさっそく“戦利品”を身にまとうSJ
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■HOTEL MIDORI
とてもホスピタリティの高いホテル。
アルマス広場へのアクセスもよく、また、高山病で苦しんでいたら、深夜でも酸素ボンベを用意してくださった。
なにより、働いてる人が気持ちいい方ばかり。
クスコを訪れる方には、ぜひオススメしたい!
http://www.midori-cusco.com/
リザさん
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ボーイさん
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シェフ 我が大学時代からの親友Yクンに似てる!
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朝食時、特別に作ってくれたオムレツ美味かったなぁ
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■クスコへの複雑な思い
クスコでは、歴史の重みを直観的に体感させられる。

「精密な石組みを誇るインカの建築物と、スペイン・コロニアル建築の融合が美しい街クスコ。」
このように多くの旅行ガイドでされているように、事実である。

しかし、これは、征服した側の見方ではないか?

インカの人たちを思うと、とても複雑な気持ちになる。
日本人にとって、こう考えるとどうだろうか?
乱暴な言い方だが、例えば、同時代に、他国に日本が征服されたとした場合、
例えば、江戸城の土台の上に、征服者側の建築がされたとしたら?
これは到底受け入れがたい。
征服された側からすると、悲しさだけだ。

征服「する側」と「される側」は、
語る場合は必ず、双方の視点から論じなくてはいけない。

クスコは、独特の雰囲気を漂わせている。
歴史の重みを実感する。
それは、複雑な歴史の中で時を刻んでいるからだ。



■プーノへGO!
こうして、一日クスコを満喫した我々は22:00発のプーノ行きの夜行バス乗り場へ。
海外での夜行長距離バスなんて、大学生以来!
それは、インド・バナラシからアーグラに行ったとき。
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南米紀行 2010-04/29 第9日目【インカの聖なる谷(2)】

■インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)
6000m級のアンデス山脈の無数の川を含む谷間にある「インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」。
インカ帝国の人々が残した多くの遺跡が点在。
標高はマチュピチュよりは高くなり、2,800m。
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■マラスの塩田(Salineras de Maras)
*クスコの北西58kmにマラスの村があり、そこからさらに10km
オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)の次に向かったのが、楽しみにしていたこちら。

マラスの塩田はプレ・インカの時代から続く。
代々、インカ皇帝へ献上されていたことから『インカの白金』と称えられ、
かつては遠くボリビアより商人がはるばる買い求めに来たという。

棚田塩田に溜まった水が天日に干されると、塩が表面に現れる。
谷の急斜面に張り付く棚田塩田の数は3800。
強烈なアンデスの太陽と谷を駆け降りる風が最高の天然塩をつくる!

エントランス
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圧巻の景色!
写真で見たことがある【世界遺産:トルコ・パムッカレ】と重なる。
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塩の源流
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各塩田は、こうして水量を巧みにコントロール
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ドライバー氏がガイドしてくれ理解が進んだ
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SJと
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出荷用に梱包されたマラスの塩
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出荷には、今だロバが活躍
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少年とロバ
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売店で商談中!
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美味!手作りバナナチップス
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■聖なる谷の車窓から(2)
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■モライ(Moray)
 *マラスの村から7km
モライとはケチュア語で「丸くへこんだ所」
一見、円形競技場のよう。
しかし、さにあらず。
インカ帝国時代の農業試験場。
ここもアンデネス(段々畑)。
こちらは円の直径100m、深さは100m。
上と下では、5~10°の温度差を利用し、
インカの人々は、様々な植物を植え異なる環境で育つ植物の研究を行ったと言われる。
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円のセンターはだいぶ谷底に見え、体力的に腰がひけたが、30分で往復できるというので、ダッシュ!
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とうもろこしが栽培されている
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等間隔のアンデネス
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これだけセンターは大きい
「世界の中心」に来た気分(^ ^)
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こう見ると1段あたりの高さがよくわかる。2mを裕に超えるため、ヘトヘトに・・・(写真はSJ)
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■雪化粧のアンデス山脈
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推定、サルカンタイ山? 高さが6,246m
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■聖なる谷の車窓から(3)
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■チンチェーロ(Chinchero)
*クスコから北西に約32km
ドライバー氏から「ぜひ、チンチェーロに!少し上乗せしてくれれば行くよ!」とアドバイス受けた。
我々の写真撮り過ぎ現象で、だいぶ時間も押し、すでに日が暮れてしまったのだが、
せっかくなので“一瞬だけ”(15分程度)の観光。

インカ帝国時代は王室農園があった場所で、
現在はスペイン植民地時代に建てられた白壁の教会が残る。
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教会広場では、市場も立つ。
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■サン・クリストバル教会
クスコ市内に戻ったところで、ドライバー氏に最後にわがままをきいてもらい、サン・クリストバル教会へ。
ここは、高台に位置する教会。
クスコの街を一望できる。
夜の治安は悪いそうなんだけど、現地の人を一緒なら安心。
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我々はここで、重い思いをして運んだのに使う機会のなかった三脚を持ち出し、
クスコの街をファインダーにおさめた。
ドライバー氏は苦笑。
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ホテルまで戻ってもらう。
当初、120SOL≒4,000円(1名@2,000円)だったが、
お礼も含め、185SOL≒6,100円(1名@3,050円)支払った。
道が狭い一通で、後ろにクルマが来てしまい、ドライバー氏とちゃんと別れができなかったのが残念だが、
いいドライバー氏だった。


■今後のプランニング決定
クスコに戻り、休む間もなくアルマス広場へ。
最初の仕事は、旅行代理店での今後のチケット手配。
クスコ初日に買い物したときの家族のパパが勤務する旅行代理店へ。
今日は、そのパパの上司と思われる方と一緒に対応してくれた。

当初のプランだと、
明日朝一から、クスコ⇒プーノをバスツアーする予定だったが、
マチュピチュSTAYを1日延ばしたため、旅のプランの変更を余儀なくされた。
まず、明日の予約をキャンセルした。キャンセルFEEは発生せず。

あまり選択の余地はなく、SJと検討の結果、こうなった。

4/30 クスコ ⇒*深夜バスでプーノへ
5/1 プーノ(*ウロス島・タキーレ島:チチカカ湖クルーズ)⇒*夜、バスでアレキパへ
5/2 アレキパ ⇒深夜バスでナスカへ
5/3 ナスカ ⇒深夜バスでリマへ
5/4 リマ
5/5 深夜OUT

かすかな可能性があった、ボリビア・ウユニ塩湖は断念。
また、クスコ⇒プーノの移動も1日かけている場合ではない。
OH!ワクワクするほどすごい、強行日程!
これに合わせて、チケットの手配を依頼する。
もう、旅のフレキシビリティはなく、日程がFIXされた以上は、
各地で、都度、チケット購入は時間の無駄。可能な限り、この場で済ませてしまう作戦にした。

上記、*の3つを手配することにした。
・クスコ⇒プーノ区間BUS(クスコ市内からBUS乗り場へのピックアップあり)
・チチカカ湖クルーズ:ウロス島・タキーレ島(BUS乗り場⇒ツアー⇒BUS乗り場へのピックアップあり)
 ウロス島だけのつもりが、タキーレ島に行くべし!とリコメンド受け、時間的には大丈夫なのでそうした。
・プーノ⇒アレキパ区間BUS
※ナスカ⇒リマ間は、予約できるバスの発着が夕方と早く、現地で探すことにする。
 最悪、ナスカまでこれれば、リマ行きが一日遅れても問題ないし。

入手している情報からすると、100US$が妥当。
それに対して、二人分合計で@260$という価格表示
どうせボリ価格だろう?と思い、
交渉開始。一部始終はこんな具合。

我々「情報によると100US$と書いている!」と、100US$を主張し、交渉開始。
相手「たしかに安さだけ求めたら、100US$も可能。だけど、パッケージの内容が違う。
 安心のパッケージなんだよ!
 まず、プーノ行きのバスは、最高クラスのもの。シートがフラットリクライニングできるから、楽だよ。
 それに、クスコバスステーションまで連れていくし、
 プーノに着いたら、信頼できる私の友人がキミたちを案内してくれる。迷うことはないんだよ。」
我々「それはありがたい。だからといって、60US$は付加価値をつけすぎじゃない?
  (いつもの)我々はHAPPYだ。あなたがたのような親切な人たちと出会えた。
  だから、ぜひ、このチケットもあなた方から買いたい。
  (マック店員のようなスマイルで)我々は友達だよね?
  じゃ、駆け引きはしたくないから、これでDONEとしよう。
  間を取って、230US$!」
相手「(苦笑しながら)・・・それだと、ウチは赤字になっちゃうよ。じゃ、こうしよう、240US$!」

それにしても、会話が流暢なこの“ヤリ手”上司。
何を聞いてもスラスラ。
営業として、商品のすべての情報を把握し、相手が望む情報を伝えること。
これは商品が違えども、国が違えども、万国共通事項。
異国の地で、営業の鏡に出会い、プロ意識を学ばせてもらった。

交渉を終えた我々(左がパパ、右が上司)
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■CHICHA
クスコでの一仕事を終えたころ、空腹に気がついた。そういえば、ランチ抜きだった。

ペルーで最も有名とされるGASTON ACURIO氏が展開する「CHICHA」へ。
まずは洗練された空間がGOOD!
まるでペルーであることを忘れてしまうぐらい。
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料理はペルー料理ベースのフュージョン料理。
空間同様、洗練テイスト!
料理はリコメンドに従い、
Ceviche
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Lomito do Cerdo
香ばしく焼いた豚ロースをハチミツ入りマスタードソースで。
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野菜盛り合せについてポテトはウサギになっている
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とても親切に対応してくださった店員さん
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こうして、盛りだくさんの1日がふけていった。



南米紀行 2010-04/29 第9日目【インカの聖なる谷(1)】

■Machu Picchu
まる2日間、Machu Picchu観光を謳歌した我々。
大満足で、後にした。

■La Cabaña
ホテルを紹介しておこう。
マチュピチュは、大観光地なだけに、総じてホテル代が高い
1泊追加で合計2泊させてもらったホテルが「La Cabaña」
ホスピタリティの高い、居心地のいいホテルだった
http://www.lacabanamachupicchu.com/index.html
 ※高山病対策に、今後、酸素ボンベサービスをしてくれると、なお、ウレシイです!

優しい、フロントのオネーサン
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■駅前マーケットでお買い物
PERU RAILの発時間は9:26
ゆったりと朝食をすませた後、実家に絵ハガキを書く。
気付くと時間がない!
郵便局に寄る時間がなくなり、上記のオネーサンにポスト投函をお願いした
学習しない我々は、ダッシュで駅に向かう・・・

ウルバンバ川
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しかし、さらに学習しない我々。
9:26は電車が駅に着く時間。
Departure timeは30分後の9:56だったのだ

30分、空きができた我々は、駅前マーケットを散策。
しばしのショッピングを楽しむ。

彩り鮮やかなお土産
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■PERUの車窓から
PERU RAILに乗車
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アテンダントのオネーサンとお兄さん
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荒々しく、雄大なウルバンバ川
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線路沿いで見かけた人たち
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PISCAUCHO駅到着
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到着を待ち構えていた駅員さん
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PISCAUCHO駅からOllantaytambo駅へは送迎バスあり。移動中の車窓から
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■インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)
6000m級のアンデス山脈の無数の川を含む谷間にある「インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」。
インカ帝国の人々が残した多くの遺跡が点在。
標高はマチュピチュよりは高くなり、2,800m。
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旅行ガイドには、クスコ発のツアー参加がベストという声が多いが、
我々はマチュピチュからの帰路を利用し、自分たちでタクシーをチャーターした。
オリャンタイタンボ駅での最初の仕事がタクシドライバーとのチャーター交渉。
声をかけてきてくれたドライバーが2名いた。
英語が通じ、人がよさそうな方のドライバーに決めた。

条件は、夕方まで聖なる谷を巡った上で、夜クスコ着。
120SOL≒4,000円(1名@2,000円) で交渉成立

Ollantaytambo駅前で、まずは、ドリンク購入。キレイに陳列された駅前売店!
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売店のおばちゃんと記念写真
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売店の隣にいたオネーサン
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■オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)
まず、最初に目指したのが、「オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)」
 *「タンボ」とはケチュア語で「旅籠」の意味
 *クスコから北西に約88km
「聖なる谷」のほぼ中央に位置し、「オリャンタ村」の奥にある。
インカ時代の、「宿場町」とも、スペイン軍に抵抗する「大要塞」だったとも言われているが解明されていない。
遺跡の手前にあるこの村では、インカ時代の灌漑用水路や下水道が現代でも使われているそうだ。
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ビラコーチャ(太陽の神)と言われる人面の岩
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“小さなマチュピチュ”に見えるとも言われ、かなりの急斜面に作られたアンデネス(段々畑)が続く。
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ここでも、剃刀の刃1枚も通さない、といわれるほど精巧な石組み。お見事!
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階段を300段上る。
やはり、標高が高いからか、かなりキツイ・・・

「太陽神殿」だったと言われる建造物がある広場に着く。
6つの巨石を並べた「太陽神殿」は、高さ4m、幅10m。圧巻!
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オリャイタンタンポの村を一望
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ブラウン管TVに見える
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見応えのある遺跡を堪能した。


■聖なる谷の車窓から(1)
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↓↓↓
■マラスの塩田(Salineras de Maras)
■モライ(Moray)
■チンチェーロ(Chinchero)
は後篇において。



南米紀行 2010-04/28 第8日目(2)【マチュピチュ】

■再度、マチュピチュへ
ワイナピチュ入口付近から再度見学。
まず目に入ったのは修復作業
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迷路のような通路
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水汲み場につながる水路
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見事なる精巧な石組み
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技術者の居住区
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コンドルの神殿
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太陽の神殿と陵墓
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王女の宮殿
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皇帝の部屋
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重厚な作りの二重扉
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■マチュピチュとリャマ
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★今回数ある「マチュピチュとリャマ」のMY BEST!
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■マチュピチュとリャマと我々
リャマ同様に、マチュピチュを見つめる
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リャマ同様に、草食の真似をするSJ(^◇^;)
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■“天空都市”MACHU PICCHU全景
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■500年前の再現
http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/01-incan/machu-pichu/walk-tour.html
「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用


■ハイラム・ビンガム
マチュピチュ遺跡の発見者ハイラム・ビンガムはホノルル出身。
ハーバード大学で歴史学と政治学の博士号をとった新進気鋭の学者は、
イェール大学で南アメリカ史を教える講師になる。
ペルー訪問の際、オリャンタイタンボを見学して強い興味を覚える。
1911年、イェール大学ペルー探検隊を組織して、ペルー入り。
そして7月24日、マチュピチュを発見。
ビンガムは、そのときの驚きを手記で伝えている。
「突然、目の前に廃墟が現れた。あたりは樹木や苔で覆われ、はじめはよく見えなかった。
だがそれは、世界でもっとも美しい石壁だった」。
ハイラム・ビンガム
彼は英雄となる。
その後、大ヒット映画「インディ・ジョーンズ」のモデルともいわれる。

かつて考古学を志したボクは「インディ・ジョーンズ」が好きであり、
そのモデルといわれるハイラム・ビンガムには大変興味があった。
その大発見が世界的に有名なマチュピチュときたら、訪問しないわけにはいかなかったわけである。

しかし、モノゴトを語る際には、常に“光と影”“表と裏”両面を考える必要がある
彼の業績は素晴らしい。
しかし、ペルー人からすればこんな見方もある。

「インディ・ジョーンズ」が持ち去ったインカの遺産、ペルーに返還
2007年09月18日 18:58 発信地:ニューヨーク/米国
【9月18日 AFP】映画シリーズ「インディ・ジョーンズ(Indiana Jones)」の主人公を地で行くような人物が、約100年前にインカ帝国(Inca)の古代都市マチュピチュ(Machu Picchu)から持ち去った文化遺産数千点が、現在の保管先の米エール大学(Yale University)からペルー政府に返還されることが決まった。

 エール大学の歴史学教授だったハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)は1911年、アンデス山脈を探検中にマチュピチュの遺跡を発見。遺跡はその後、1500年代に建造されたインカ帝国の古代都市跡であることが判明した。ビンガムはインディ・ジョーンズのモデルのひとりと言われる。

 その後5年間で、ビンガムはミイラ、陶磁器、遺骨、芸術品など数千点を米コネティカット州(Connecticut)にあるエール大学に持ち帰っていた。

 先週末、エール大学とペルー政府は共同声明を発表。数か月にわたる交渉の結果、エール大学は発掘品がすべてペルー側に所属すると認め、返還することで合意していた。

 合意内容によると、ペルー側はクスコ(Cuzco)に博物館と研究センターを新設し、返還される4000点の文化遺産を保管、エール大学がアドバイザーとして参画する。これに先立ち、世界で巡回展示を行って文化遺産を紹介する。

 博物館はビンガムのマチュピチュ遺跡発見からちょうど100年目にあたる2011年に開館予定。マチュピチュは現在、ペルー最大の観光地となっている。(c)AFP

⇒引用 http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2284983/2158088

決して、ビンガムの評価が下がるわけではない、と考える。
繰り返しになるが、ビンガムの業績は素晴らしい。
ボクは、考古学を志した者として、彼をリスペクトしてやまない。
ただ、モノゴトを一方的側面しかみないのはよくない、と心に留めている。


■ゲバラとMACHU PICCHU
『モーターサイクルダイアリーズ』は、
若き医学生チェ・ゲバラと友人アルベルト・グラナードの南米縦断の旅行記。
モーターバイクにまたがり祖国アルゼンチンを出発するが、
バイクはほどなく壊れてしまい、ヒッチハイクでチリを経て南米を縦断していく。
映画化もされているのでご存知の方も多いだろう。
モーターサイクルダイアリーズ

その過程ではペルーに入り、マチュピチュにも訪問している。

若き医学生チェの革命への萌芽がみられ、チェ・ファンは必読書であり、
チェ特有のチャーミングな表現が彩ってくれ、旅行記としても面白い。

今でいう“旅ブログ”をまとめたようなものである。

その中でマチュピチュをこう書いている(申し訳ないけど、翻訳がちとうまくない・・・)

確かなこと、重要なことは、僕らはここで、アメリカ大陸でもっとも強大であったインディヘナ文明の純粋な表出を、目前にできるのだということである。この文明は勝者の文明に汚されることなく、役目を果たせなくて退屈をもてあましている城塞の間や、それを取り囲んている素晴らしい景色の中には、計り知れない回顧の財宝が満ち満ちている。またこの景色は、ここの遺跡の間を意味もなく徘徊する夢追い人や、あるいは旅慣れた北米人を恍惚とさせるのに必要な環境を提供している。
『モーターサイクルダイアリーズ』より引用




■“天空都市”MACHU PICCHU総括
標高2,400mの断がいの頂に建つ天空都市は
何のために作られ、
何のために放棄されたのか、
諸説あり、今だ解明されていない。
インカ文明が文字を持たなかったことも原因。

数百年もの間、時代に置き去りにされていたマチュピチュ。
だから、インカ帝国の栄光がそのまま残っている。
インカ文明の最高技術を、我々は21世紀の今日、観ることができる。
謎多きマチュピチュ。
遥かなるインカ帝国に思いを寄せ、しばし、歴史のミステリーを探ってみた。
ボクは、マチュピチュは、「インカ文明の宗教施設説」が近いのでは、と考える。

時空を超える想像。
インカ文明に、ビンガムに、チェに、
彼らの息づかいにちょっとだけ近づけたかもしれない。
それは、至福の時間。



■ふたたび、INDIO FERIZ
マチュピチュ村のメインストリート バチェクテック通り
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ステキなポストカード
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夕食には、前日印象がよかったためINDIO FERIZを再訪!
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今日は食欲も戻り、コースをチョイス 
素材の良さを、フレンチテイストがさらに高みに引き上げており、うまかったなぁ♪

前菜は、リコメンドの「地元野菜盛り合せ」 ボリューミー!
ようやく体調復活したためアルコール解禁! 
ドリンクは「ピスコ・カクテル」 ブドウの蒸留酒ピスコベースのカクテル しかしアルコール度高すぎ・・・
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ボイルドエッグがウサギのカタチ
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メインは、これまたリコメンドに従い、地元で獲れた「マスのムニエル チリソースがけ」
魚でなければ食べきれない量だった チップスもうまし
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SJはメインに、パスタを
あまりのボリュームに“二郎”と口走りながら、残していた、、^^;
パスタは推定フィットチーネ
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デザートのプリンは濃厚美味
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■温泉
マチュピチュ村はかつて「アグアス・カリエンテス(熱い水)」と呼ばれていたように、
温泉が湧き出るのだ。
日本の反対側のアンデスの地で温泉に入れるなんて!
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日本の温泉をイメージすると、それとは異なる。
市民プール風なところに、水着着用で入る。
湯は、濁っており、ぬるい。
しかし、疲労のたまったカラダは癒され、
紛れもなく、アンデスの極上温泉だった

こうして、今日も大満喫の1日となった!





南米紀行 2010-04/28 第8日目(1)【ワイナピチュ】

※本日も2部制。
午前中のワイナピチュ登山の様子をレポート!

■WUAYNA PCCHU
マチュピチュ遺跡は、ケチュア語で
 ‐「老いた峰」を意味するマチュピチュ山
 ‐「若い峰」 を意味するワイナピチュ山
に峡まれている。
マチュピチュ遺跡の定番写真の、奥にそびえ立つ、天空を切り裂くように尖った山、それが「ワイナピチュ山」
頂上からのマチュピチュ遺跡を一望できる絶景が旅人たちを魅了する。
ワイナピチュにも建造物があり、インカ時代には「見張り台」の役割だったと考えられる。
往時の登山道で昇降する。
標高は2700m。マチュピチュ遺跡が標高2400mだから、標高差は300m。
麓からおよそ1時間半の登山。


■早朝勝負
事前情報によると、ワイナピチュは、
 ‐1日400名の入場制限
 ‐マチュピチュ遺跡入口で整理券配布
 ‐7:00OPEN
だそう。

クスコから日帰りでマチュピチュに来る場合は難しいが、
マチュピチュに1泊するなら、定番コースにつき、大混雑は必至。
だから、OPENする7時にはワイナピチュ入口にいなくてはならない。
逆算すると、6時過ぎにはバスに乗る。
そこで、5時起床。外は、まだ、真っ暗。
支度を整え、ホテル1Fに降りると、多くの人が朝食を取っている。

マチュピチュは食べ物持込み制限禁止のため、
食欲はなかったが、ムリして頬張った。

坂道を下ること5分、遺跡へのシャトルバス乗り場へ。
オッ!早くも長蛇の列(>_<)
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バスは、ハイラム・ビンガム・ロードを25分で、マチュピチュ遺跡入口へ。
ワイナピチュの入口は奥にある。
ここからダッシュで入口を目指す。
ダッシュのおかげで、
ワイナピチュ入口では、かなり前に陣取ることができた。
朝からいきなりハードワーク(ゝ。∂)
長蛇の列!
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麓から見上げると、頂上は天空にせり出している!
この急峻な岩山をはてして登ることができるのか?と躊躇してきた。


■登山
開門をしばし待ち、いざ登山スタート。
入口では、名前と入山・下山の時間を記入するそうだ。
実際、滑落する人がいるそうで、その対策。
そういえば、整理券はなかった。

はじめは、ゆるやかなUP DOWNであったが、
少しすると勾配が激しくなってきた。
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登山道は、かなり、だいぶ、すごく急勾配で、大半が石積みの階段。
整備された日本の感覚だと、足場は悪い。
緑でおおわれているからいいものの、
断崖絶壁の石段を登っていくので、一歩間違うと山から滑落してしまう。
(実際、大怪我を負う人もいるようだ)
危険なことは承知しているのだが、
あまりにハードなため、その感覚がマヒしてくる。
危険だ(>_<)

ご覧ください!この登山道。
ときに、角度が60°を超えるのでは?というところもある。
ロープが使えるところは、ロープ伝えに“よじ登る”。
もはや階段を登るではなく、“梯子をよじ登る”感覚だ。
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ロープウェイがあったら迷わず乗車するだろう^^;

もはや余裕なんてなく、目の前の一歩一歩を登ることしか考えられない。
大事は、一歩一歩の積み重ねにより達成できる。
「山登りは人生だ!」と自分に言い聞かせ、気力をふりしぼる。


映像はうまく撮れてないんですが、、、



徐々に周囲の景色が開けてきる。
途中休憩をとると、眼下には、マチュピチュ遺跡。
こうしてみると遺跡が、「山脈の峰」に建設された“計画都市”であることがよくわかる。
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200mいける望遠レンズ大活躍! http://ow.ly/26LmI
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遠くには雪化粧した山 ハッとする美しさ!
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再度、“よじ登り”。頂上はもう間もなく。
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こんなに狭い通路
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階段
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ハイラム・ビンガム・ロードはこんなにクネクネしている
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急斜面さがよくわかる
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頂上手前には「四つん這い」でないと通れない通路もある
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■頂上
休憩とりながら、写真を撮りながら、
厳しすぎる急斜面を、息を切らせ登ること、およそ1時間20分で山頂

すばらしい景観\(^o^)/
ワイナピチュの頂上からはマチュピチュ遺跡の全景、連なる山々にウルバンバ川、ハイラム・ビンガム・ロードが一望できる。
エンジェルフォールで感じたように、努力した者のみがそのご褒美をもらえた感覚
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ワイナピチュは、旅人がマチュピチュを一望するための登れるようになったものではない。
インカ時代には「見張り台」の役割だったと考えられる
ここにも遺跡があり、巨石があり、段々畑もある。
人が登るだけでもこれだけ厳しいのに、どうやって?
それは、“歴史のミステリー”!

文字通り違った角度から、マチュピチュを知ることができた。

しばし、心地よい風を受けながら、
頂上からの絶景を鑑賞した。
そして、“歴史のミステリー”へ思いを馳せた。
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みんなも絶景を堪能中
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頂上“も”囲いも何もない断崖絶壁。
その一番高いポイントで“カッコツケ”写真撮影(まさに命がけ! 真似しないで!)
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ここが一番危険!
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■下山はタノシ
下山の方が危険!
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にもかかわらず、楽しい!
以前、ロードバイクにはまり、毎週のように、箱根をはじめとする
関東近郊の山々をアタックしていたことがある。
元来、スピード狂なこともあるのだろう。
そのときからから、「くだり」は大好き!
「上り」に比べたら、あきらかに、楽だし。

同様に、下山は楽しい。
一般的には、恐いはずだけど
他の旅人を圧倒するハイスピードで下山する。

ときには、後ろ向きになって降りないとこわいところも。
こんな感じ
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それにしても、
登山道を上から見てみると、この具合。
よくぞ、こんな道を登ったものだ!
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■ワイナピチュの植物
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■月の神殿
ワイナピチュからさらに足を延ばせば、「月の神殿」に行ける。
が、疲労により、断念・・・


10:30にはワイナピチュの入口に戻った。
これから登る旅人たちが長蛇の列だ。
どっと疲れが出たため、寝てしまった。

さぁ、これから、マチュピチュ遺跡見学だ!



 

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