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南米紀行 2010-04/30 第10日目【クスコ】

本日は、一日かけて【世界遺産:クスコ】観光!

いろいろ周りました

■【世界遺産:クスコ市街(City of Cuzco)】概要
[登録年:1983年]
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「クスコ」とは現地の言葉ケチュアで「 へそ 」の意味で世界の中心を表す。
標高3500mのアンデス山脈にある歴史都市。
太陽神を崇拝し、1200年から1533年の間、アンデスに帝国を築いたインカの首都として、
政治、経済、文化の中心地であった。
建造物は精巧な石組みで建てられ、今でもインカ文明の高い技術力を知ることができる。
16世紀、スペイン人がこの地を征服。
スペイン人はインカの強固な礎石の上に、華麗なコロニアル様式の建築を建設。
複雑な歴史の中で融合した、二つの文化。
クスコは、悠久の時を超えて語りかけてくれる。

インカ文明とは?

インカ文明は、現在のペルーのクスコを首都に、南米大陸の西側を貫くアンデス山脈、さらには山脈西側の海岸部や東斜面のセルバ(熱帯森林の入り口)をも含む広い地域に栄えた。15世紀末ごろには、北はエクアドル国境近くのコロンビアから南はチリ中部まで、南北4,000kmにわたる長大な国家に発展した。太陽の子を名のる皇帝は、神の化身としてあがめられた。中でも第9代皇帝パチャクティは、大帝国建設に着手しただけでなく、優れた手腕で国を統治し、賢く公平な王と称えられた。地方貴族とインカの皇女の間に生まれたワマン・ポマが残した年代記には、飢饉の際には食料や衣服が、国家の土地を耕すときには農具や食料が国から無料で支給され、病人や老人も安心して暮らせる福祉国家だったと記されている。

インカは、当時のヨーロッパをもしのぐ豊かさを実現していたといわれている。その繁栄を支えたのが、帝国全土に張り巡らされたカパック・ニャン(インカ道)と呼ばれる道路網だ。皇帝の視察や軍隊の遠征、物資や情報の輸送にも使われていたというインカ道は、皇帝の統治を地方にくまなく行き渡らせ、また広域的な交換をも促す重要な役割を担っていた。
インカでは太陽を最高神として信仰していた。また、創造神や雷神、大地母神などアンデス伝統の神々をも受け継ぎ、その神々にも供物や生けにえを捧げた。生けにえは主に動物だったが、ときに幼児や若者が犠牲となることもあったという。
インカでは、ミイラの存在も重要だった。皇帝は死後ミイラとなって生き続けることで、権力を永遠のものとした。

インカは、今も謎に包まれた文明である。それは文字を持たなかったためで、文明を知る手がかりといえば、インカの末えいやスペイン人が植民地時代初期に記した年代記によるところが大きいからだ。また、スペインによって多くの遺跡が破壊され失われてしまったことも大きい。それでもインカを象徴する都市・マチュピチュが発見されるなど、研究が進み、徐々にではあるが文明の謎が解き明かされつつある。

「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用  http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/01-incan/who.html



■インカミュージアム(Museo Inka)
17世紀はじめに建てられたコロニアルな邸宅で、
かつての海軍提督ドン・アルドレッテ・マルドナルドの邸宅であった。
クスコ市内に数ある大邸宅のなかで最も格式のある屋敷で、
出窓に3つ折の戸がついているスペイン・モーロ型の建築である。
館内は、「プレ・インカ」「インカ」「スペイン統治」と時代ごとに、
陶器や織物などが展示されている。
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1F広場では、アルパカ織が実演されていた
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2Fにあった売店で民芸品を購入。
このおじさんご自身が作られています
写真用にご自慢の品を首からかけてくださいました!
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■12角の石(La Piedra de Los Doce Anguios)
宗教美術博物館の外壁に埋め込まれた12の角を持つ「12角の石」。
アトゥンルミヨク通り沿い、壁のまん中あたりにあり、ほかの石と比べるとひと回り大きい。

「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われるように、
隙間なく組まれた石組みは、見事な一言!
石を削って接合させるだけでなく、角と落とし丸みをつけたり、大きさや角度を変えて耐久性を高めたりしている。
時空を超え、高度なインカ文明の技術の高さを、21世紀の今にも誇示している。

SJとならぶとこの大きさ
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■14角の石(Piedra de catorce anglos)
こちらは、幅30センチ程。
「12角の石」に比べ、あまり認知されていないが、
こちらの方がphotogenicかも。
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■ピューマの石(Piedra de Puma)
インカで神聖視されていた動物プーマの形をした石組み。
わかりますか?
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答えはこちら。指を指したのは頭部分。なるほどなるほど、わかりますね。
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■宗教美術博物館(Museo de Arte Religioso)
「12角の石」がはめ込まれたインカの石壁を土台として建てられた旧大司教庁。
入口のレリーフ、中庭などクスコ市内に残るコロニアル建築のなかでも一級品。
中庭中央にある噴水は、精巧なレリーフで飾られた優美なもの。
館内には300年以上前の家具などが当時のままの状態で展示されている。
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■サン・ブラス教会(Iglesia San Blas)
アトゥンルミヨク通りを上りきった所に建つ。
外観のみ観光。後で知ったのだが、
立派な祭壇が供えられており、精緻な彫り物は1本の木をくり抜いて造られた、
世界でも5本の指に入る芸術作品だそう。


■アルマス広場(Plaza de Armas)
カテドラル、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会、レストラン、旅行会社、おみやげ屋に囲まれた
観光の拠点になっている広場。
クスコ市民の憩いの場でもある。
一日中、人々で賑わう。

インカ帝国時代には、街の中心として、ワカイパタ、アウカイパタのふたつに区切られ、
神聖な土はインカが征服した町に印としてまかれ、
代わりに300km以上も離れた海岸の砂がここに敷きつめられたという。
さらに広場には、金銀でできた像がいくつも立っていた。 

スペインは外国都市を征服すると、
アルマス広場とカテドラルを建設し、そこから植民地化を進めた。
クスコはここに建設された。


■カテドラル(Catedral)
クスコの中心地・アルマス広場に鎮座する重厚なコロニアル建築の大聖堂。
インカ時代のビラコチャ神殿の跡に、
1550年から、100年もかけて建てられて荘厳な建造物。

ポトシの銀300トンを使ったメインの祭壇は一見の価値がある。 
また、屋根には1659年に付けられた南米で一番大きな鐘があり、その深い響きは、遠く40km先まで届くという。
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■ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会(Iglesia de la Compania de Jesus)
かつてインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられたファザードが美しい教会。
現在ある教会は、1650年の地震のあとに再建されたもの。 
カテドラルの絵を手がけた画家、マルコス・サパタによって描かれた見事な壁画やすばらしい祭壇は秀逸。
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■ロレト通り(Calle Loreto)
アルマス広場からラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会の横を入っていく、200メートル以上ある石畳の細い路地。
見事な石組みの壁は、最もインカ時代の雰囲気を残す通りのひとつとされている。
インカの時代には、インティ・キジュ(太陽へ向かう道)と呼ばれ、
その先には、太陽の神殿コリカンチャがそびえ立っていた。
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■サント・ドミンゴ教会/コリカンチャ=太陽の神殿(Iglesia de Santo Domingo/Qorikancha)
インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿として黄金に光輝いていた。
16世紀、スペインによる征服後、神殿から黄金を取り除いたスペイン人は上部を壊し、
土台の上にチュリゲレス様式の教会を建てた。
しかし、クスコ大地震の際、教会は無残に崩れ落ちたが、
土台の石組みはひずみひとつ起こさなかったという話は有名。
現在も発掘、復元が続けられている。
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「最も小さなインカの石」 幅3cm程度!
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EL Peru(ペルー万歳!) サントドミンゴ教会からみた山に書いてあるペルーのシグネチャー。
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庭に咲く植物
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■クスコの街中から
子供たち
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街ゆく人々とアルパカ(リャマじゃないですよね?)
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ブラピ似!?
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スカスSJ@HOTEL MIDORIの前の壁
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事件発生!調子悪かったSJのレンズがついに使えなくなる。
SJは予備レンズに換えにホテルへ。保険は大事やね~
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ユニークなマスク
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チェ・モチーフのその名も「CHE」のタバコ売りのオジサン
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セブン-イレブン@CUZCO
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COCA COLA「BURN」AD
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McDonald's@CUZCO 日本と同料金設定のため、トラベラー向けか
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■民芸品市場(Centro Artesanal)
ペルーはアルパカ織物が有名。
ペルーのの中でも、クスコは値頃だそうだ。
HOTEL MIDORIの方が、買い物するならここへ!のアドバイスに従い、来てみたのが「民芸品市場」
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小さなお店が大集合
観光客はあまりいない。
市内で買うよりも安い!
お目当ては、アルパカ織の帽子、マフラー、手袋など。

店を決めて、SJと個別に値引き交渉。
そして「一緒に買うからまけて!」という作戦。
ただ、最初から良心的なプライス提示のため、大幅ディスカウントはできず。
ともかく激安!
ついつい迷ったら、どっちも買えばいいじゃん!」とたくさん買ってしまった
やはり、お買い物って、人を幸せにしますね!

大人買いしたお店の人たちと
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■Pucara
今日もランチ抜きの早め夕食。
OPENして30年以上たつ、日本人が経営する正統派ペルー料理のお店
地元では安くて美味しいと評判のお店らしく、かなり混んでいた
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店内でさっそく“戦利品”を身にまとうSJ
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■HOTEL MIDORI
とてもホスピタリティの高いホテル。
アルマス広場へのアクセスもよく、また、高山病で苦しんでいたら、深夜でも酸素ボンベを用意してくださった。
なにより、働いてる人が気持ちいい方ばかり。
クスコを訪れる方には、ぜひオススメしたい!
http://www.midori-cusco.com/
リザさん
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ボーイさん
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シェフ 我が大学時代からの親友Yクンに似てる!
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朝食時、特別に作ってくれたオムレツ美味かったなぁ
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■クスコへの複雑な思い
クスコでは、歴史の重みを直観的に体感させられる。

「精密な石組みを誇るインカの建築物と、スペイン・コロニアル建築の融合が美しい街クスコ。」
このように多くの旅行ガイドでされているように、事実である。

しかし、これは、征服した側の見方ではないか?

インカの人たちを思うと、とても複雑な気持ちになる。
日本人にとって、こう考えるとどうだろうか?
乱暴な言い方だが、例えば、同時代に、他国に日本が征服されたとした場合、
例えば、江戸城の土台の上に、征服者側の建築がされたとしたら?
これは到底受け入れがたい。
征服された側からすると、悲しさだけだ。

征服「する側」と「される側」は、
語る場合は必ず、双方の視点から論じなくてはいけない。

クスコは、独特の雰囲気を漂わせている。
歴史の重みを実感する。
それは、複雑な歴史の中で時を刻んでいるからだ。



■プーノへGO!
こうして、一日クスコを満喫した我々は22:00発のプーノ行きの夜行バス乗り場へ。
海外での夜行長距離バスなんて、大学生以来!
それは、インド・バナラシからアーグラに行ったとき。
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