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南米紀行 2010-04/27 第7日目(2)【マチュピチュ】

■マチュピチュ概要
マチュピチュの歴史保護区
Historic Sanctuary of MACHU PICCHU

複合遺産(文化、自然の両者の価値を兼ね備えた遺産)
1983年12月9日登録
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■マチュピチュの発見
マチュピチュはアンデス山脈のほぼ中央、海抜2,400mの断がいの頂に建つ天空都市である。その荘厳さはまさに世界遺産の名にふさわしく、見る者を圧倒し魅了する。マチュピチュは「年老いた峰」という意味で、15世紀半ばに第9代皇帝パチャクティによって、王の私領(エステート)として築かれ、100年ほどで放棄されたと考えられる。

インカはマチュピチュに代表されるような石造都市をアンデスに数多く築いた。だが、そのほとんどはスペインの侵攻により破壊されてしまった。そうした中、往時の都市構造をそのまま残すこの遺跡は、インカを知るうえでの貴重な手がかりとなっている。

いわゆる大航海時代、アンデスに眠るといわれる伝説の黄金郷・エルドラドを目指し、多くのスペイン人がジャングルの奥深くにまで分け入った。だが、彼らもこの天空の都市には気づかなかったようだ。
マチュピチュの発見は、それより時が下った1911年、植民地時代初期のインカの拠点・ビルカバンバを探しにやってきたアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムによってだった。

「突然、目の前に廃墟が現れた。あたりは樹木や苔で覆われ、はじめはよく見えなかった。だがそれは、世界でもっとも美しい石壁だった」。
ビンガムは手記で、そのときの驚きを伝えている。ビンガムは最初、ここがスペイン征服後、国土回復を目指したインカ王、マンコ・インカが築いた城砦都市・ビルカバンバだと考えた。だが、その後の調査で、ビルカバンバはさらに北の山間に存在する遺跡であることが判明した。
遺跡発見から100年、マチュピチュでは今も発掘と復元が続けられている。


■インカ文明におけるマチュピチュの位置づけ
マチュピチュは、皇帝パチャクティが子孫の生活のために作った私領であった。パチャクティは、存命中は冬になると首都クスコからここに移り住み、いわば「インカ皇帝の冬の都」ではなかったかという意見もある。神殿、塔、宮殿などの建造物は、安山岩や花崗岩を寸分のすき間もなく組み合わせた造りで、当時の技術の高さがうかがえる。また、太陽を観測し、暦を定める場所だったと推測される施設、灌漑(かんがい)設備、ミイラが安置されていたと考えられる洞くつなど、マチュピチュに現存する多くの遺跡から、インカの建築技術、文化的要素、さらには人々の暮らしぶりまでをも知ることができる。

さらに、農耕の基盤だったアンデネスと呼ばれる段々畑の跡も、この文明を知るうえでは見逃せない。アンデネスでは、200mほどの高度差がもたらす5度以上の温度の違いを利用して、それぞれ生育温度の違う作物が20種類以上も作られていた。例えば、寒冷な上方ではじゃがいも、暖かい下方ではトウモロコシを栽培していた。
アンデスで育てられていたじゃがいも、トマト、トウモロコシ、唐辛子などは、後に海を渡り、世界の食文化を大きく変えることとなった。

「NHKスペシャル 失われた文明」HPより引用  http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/home.html



■“天空都市”MACHU PICCHU
さぁ、行きましょう!
濃い霧の中、いきなり急勾配の山道を10分ほど歩くと、
忽然と目の前に現れる石造りの遺跡。
霧をまとった姿は神々しい。

「百聞は一見にしかず」 その絶景をご鑑賞ください\(^o^)/

霧をまとうマチュピチュ
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あとで気がつくが、インティンプンクへの道を歩いてしまった
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カワイイ リャマたち
カメラマン魂に火がついた!頭痛は忘れていた(^_-)
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艶やかな植物
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道の間違いに気がつき、再度、引き返す^^;
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ふたたび、リャマ!
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おなじみ絶好ポイントから 少しずつ位置を変えて何枚か!
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ふたたび、霧をまとってしまったマチュピチュ
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記念写真!
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市街地入口の門 門越しにはワイナピチュ
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見つけた植物
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ワイナピチュの岩 ワイナピチュの形をかたどっている
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農業試験場
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巨大な石 SJと比較するとスゴイ
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「最短2時間半で観れる」と事前情報があったが、
なにせ、シャッターを押しまくるもんだから、ぜんぜん進まない(^_^;)

マチュピチュは、UPDOWNが激しく、足場も決してよくない。
スニーカーではキツイ。トレッキングシューズが必要。
忘れていた頭痛と相成り、だいぶ疲労も出てきたころ、
係員に「早く帰るように言われる」。時計は17時を指す。
17:30が退場時間だから、今日はここまでとして、遺跡出口に向かって歩く

リャマ
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アンデネス(段々畑)
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このエリアは明日
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断崖絶壁に立てられていることを実感できる
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今日はここまで!また、明日がある!
旅行ガイドには、「マチュピチュは、クスコから日帰り可能」とあるが、可能ではあろうがオススメしない。
1日延泊した判断は正しかった!

帰りのバスに乗りこみ座った瞬間、
忘れていた頭痛が襲ってきた(>_<)
しばし、村までの25分を熟睡zzz


■TOTO’S HOUSE
川沿いのシャレオツレストランに入ってみた。
TOTO’S HOUSE
パッと見、天山温泉@箱根
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ピザは、ズバリ、“宅配ピザ”味。
余談だが、「アメリカンピザ」(ボクは宅配ピザをこう呼ぶ)と本場「ナポリピザ」はぜんぜん違う食べ物。
それは、例えば、カップラーメンとラーメンのようなこと。
でも、ともにオイシイから好き(^^)
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フォルクローレの演奏
♪ラ・バンバもあり
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■INDIO FERIZ
さて、本格ディナー!のつもりで、
マチュピチュ村一番人気という噂の「INDIO FERIZ」へ。
ここは、マチュピチュ在住15年のフランス人シェフが創るフュージョン料理で有名だそうだ!
が、頭痛と疲労が重なり、もう食欲がなくなってしまった(>_<)
ボクは、デザートだけにして、
SJの食事中、また、寝ていたzzz
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くたくたでホテルへ戻る。
わずかな距離なのに、急な坂道がこたえる(,。.)
たまらずマッサージに寄った(^^)(60min 20US$)

こうして、マチュピチュ1日目は暮れていった


■一日を終えて
(総括はあらためてします)
海抜2,400mの断がいの頂に建つ“天空都市”マチュピチュ。
そのあまりの美しさと荘厳さに、人々は圧倒され、魅了される。
数ある世界遺産の中でも、マチュピチュがあれだけ支持される理由が体感できた(^O^☆♪


自分としては、あの体調の悪い中、よくぞ動いた!
いかなる理由があろうとも、ACTIONしないといけないときがある。
そこでACTIONできない奴はビジネスも、さらには人生もうまくいかない!
と、自分に言い聞かせ立ち上がった、あのときの行動に拍手)^o^(

明日は、またも4時起きで、まずはワイナピチュ登山!(マチュピチュ遺跡の西側にそびえる山)
そして、マチュピチュ見学!







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